教えるということ
レッスン、お稽古に来られている生徒さんは、9割方が大人の方。いや、9割9分と言ってもいいかもしれません。
そして、私よりお年が上の生徒さんが、9割5分くらい……
ずっと来られてる方だと、うちの次女を、幼児の頃から可愛がってくださってたりして。
いつも言ってるのですが、「音楽を教えて、人生を教えて頂いてる」。
ここ10年、特に実感しています。
「先生、ご主人の転勤はもう無いんですか?」
「ご病気とか気を付けてくださいね。先生の代わりは居ないんですから」
……そう言っていただけて大変嬉しいのですが、むしろ私のほうが生徒さん方に育てて頂いてるわけで、皆さんとの出会いが無ければ、今の私は成り立っていないんだなぁ、と思うのです。
ありきたりな言葉で言えば、感謝、でしょうか。
勿論、教えていく上で「違う」と言わざるを得ない場面もあります。
でも、私はほとんど、「こうしたほうがいいです」「こうしたほうが、やりやすいです」と言っています(…そのつもりです・笑)。
音楽なんてのはね、乱暴に言っちゃえば、自己表現する手段に過ぎないからですよ。
技術的には、いくらでも教えられます。
私の経験を伝えることもできます。
でも、「唄心」は教えられないんですよ。唄に対する思い入れ、関わった歴史、唄ってきた年数などなど、人生経験豊富な方々に、私が敵うはず無いんです。
これは学校で教えているときも同じですが、「音楽って何だ」と問われると、「コミュニケーションツールだ」と私は言います。
世界各地、これがあれば言葉がなくても通じ合えます。
音楽がない世界なんて探すほうが難しいです。
ひとりで演奏する音楽も素敵です。だけど、それすら、自分の心とのコミュニケーションだと思っています。
想像してみてください。
自作の歌、曲を大勢の人の前で演奏してください、と言われて、少しも照れずに出来ますか?
これからココで歌ってください、と言われて、恥ずかしくはないですか?
……恥ずかしいんですよ。
なのに、恥ずかしがる世代のど真ん中、中学生に、創作しろだの、ひとりずつ歌ってテストだの……「みられると恥ずかしいから皆、机に伏せてろ」って、そういう問題じゃないですよ。楽しめる子も居るけど、そっちが少数派ですよね。私は絶対イヤです。トラウマになりますよ。
だから、私はそういうことはしません。
でも、打楽器なら叩けるかもしれない。何か選んでリズムを考えろと言われると、自分の考えを発表することになって何も出せないから、まずは、みんな一緒に、決まったものを。そのうち、たのしくなって、好きに叩きたくなるかもしれない。音も変えてみて、冒険したくなるかもしれない。
それこそが、自分の表現、っていうものだと思うんです。
自分の心を表に出せた瞬間。
この心を友達に聴かせて、友達の心も聴いて。本音の交換です。
音楽って、こういうことだと思うんです。
自分ひとりで演奏するにしても、自分はこんな感じの音楽が好きなんだ、と発見することになります。
自分の本心との交流、これも大事なことです。
作文を読むのはやっぱり恥ずかしい、でも、楽器でなら表現できる。
これがまた一歩進んで、自分の思いを相手に伝え、相手の思いを受け取ることが出来るようになる。
少しずつ、自分を表現できるようになっていきます。
私はこのきっかけ作りを担うのも、音楽だと思っています。
私は、誰かと一緒に演奏して、自分が思う気持ち良いところで相手が決めてくれた時、すごく分かり合えた気になります。いつも一緒に演奏していても、「今日は気持ちが寄り添ってるな」ってことがあります。
演奏家は皆さんそうなんじゃないかな?
逆に合わないこともあるんですけどね(笑) まぁ、自分が一番、と思って頑なな方とは、合いませんね。当然(笑)
人付き合いも、そうですもんね。
演奏を聴くと、奏者の人となりも分かります。
おとなしい子がアグレッシブな演奏したりします。強気な子が、繊細な音を出したりします。そうなんだ、といろいろ気付けて、面白いです。隠したって取り繕ったって、見えるんです。そこはプロの音楽家なので(笑)
生徒さん方の演奏、然り。
それで、人生経験などが聴き取れたりして、教えられる日々なんです。
「授業やレッスンばっかりで自分が練習する暇が無い」と腐りかけた時期もありましたが、それすら勉強なんですよね。とすると、毎日毎日、勉強させて頂いてる。
まさか、お月謝をお支払するわけにもいかないので(笑)……もっとうまく教えられるようになるとか、分かりやすくするとか、あるいは私が活躍することで御恩返しが出来たらなぁ、と思っています。
そして、私よりお年が上の生徒さんが、9割5分くらい……
ずっと来られてる方だと、うちの次女を、幼児の頃から可愛がってくださってたりして。
いつも言ってるのですが、「音楽を教えて、人生を教えて頂いてる」。
ここ10年、特に実感しています。
「先生、ご主人の転勤はもう無いんですか?」
「ご病気とか気を付けてくださいね。先生の代わりは居ないんですから」
……そう言っていただけて大変嬉しいのですが、むしろ私のほうが生徒さん方に育てて頂いてるわけで、皆さんとの出会いが無ければ、今の私は成り立っていないんだなぁ、と思うのです。
ありきたりな言葉で言えば、感謝、でしょうか。
勿論、教えていく上で「違う」と言わざるを得ない場面もあります。
でも、私はほとんど、「こうしたほうがいいです」「こうしたほうが、やりやすいです」と言っています(…そのつもりです・笑)。
音楽なんてのはね、乱暴に言っちゃえば、自己表現する手段に過ぎないからですよ。
技術的には、いくらでも教えられます。
私の経験を伝えることもできます。
でも、「唄心」は教えられないんですよ。唄に対する思い入れ、関わった歴史、唄ってきた年数などなど、人生経験豊富な方々に、私が敵うはず無いんです。
これは学校で教えているときも同じですが、「音楽って何だ」と問われると、「コミュニケーションツールだ」と私は言います。
世界各地、これがあれば言葉がなくても通じ合えます。
音楽がない世界なんて探すほうが難しいです。
ひとりで演奏する音楽も素敵です。だけど、それすら、自分の心とのコミュニケーションだと思っています。
想像してみてください。
自作の歌、曲を大勢の人の前で演奏してください、と言われて、少しも照れずに出来ますか?
これからココで歌ってください、と言われて、恥ずかしくはないですか?
……恥ずかしいんですよ。
なのに、恥ずかしがる世代のど真ん中、中学生に、創作しろだの、ひとりずつ歌ってテストだの……「みられると恥ずかしいから皆、机に伏せてろ」って、そういう問題じゃないですよ。楽しめる子も居るけど、そっちが少数派ですよね。私は絶対イヤです。トラウマになりますよ。
だから、私はそういうことはしません。
でも、打楽器なら叩けるかもしれない。何か選んでリズムを考えろと言われると、自分の考えを発表することになって何も出せないから、まずは、みんな一緒に、決まったものを。そのうち、たのしくなって、好きに叩きたくなるかもしれない。音も変えてみて、冒険したくなるかもしれない。
それこそが、自分の表現、っていうものだと思うんです。
自分の心を表に出せた瞬間。
この心を友達に聴かせて、友達の心も聴いて。本音の交換です。
音楽って、こういうことだと思うんです。
自分ひとりで演奏するにしても、自分はこんな感じの音楽が好きなんだ、と発見することになります。
自分の本心との交流、これも大事なことです。
作文を読むのはやっぱり恥ずかしい、でも、楽器でなら表現できる。
これがまた一歩進んで、自分の思いを相手に伝え、相手の思いを受け取ることが出来るようになる。
少しずつ、自分を表現できるようになっていきます。
私はこのきっかけ作りを担うのも、音楽だと思っています。
私は、誰かと一緒に演奏して、自分が思う気持ち良いところで相手が決めてくれた時、すごく分かり合えた気になります。いつも一緒に演奏していても、「今日は気持ちが寄り添ってるな」ってことがあります。
演奏家は皆さんそうなんじゃないかな?
逆に合わないこともあるんですけどね(笑) まぁ、自分が一番、と思って頑なな方とは、合いませんね。当然(笑)
人付き合いも、そうですもんね。
演奏を聴くと、奏者の人となりも分かります。
おとなしい子がアグレッシブな演奏したりします。強気な子が、繊細な音を出したりします。そうなんだ、といろいろ気付けて、面白いです。隠したって取り繕ったって、見えるんです。そこはプロの音楽家なので(笑)
生徒さん方の演奏、然り。
それで、人生経験などが聴き取れたりして、教えられる日々なんです。
「授業やレッスンばっかりで自分が練習する暇が無い」と腐りかけた時期もありましたが、それすら勉強なんですよね。とすると、毎日毎日、勉強させて頂いてる。
まさか、お月謝をお支払するわけにもいかないので(笑)……もっとうまく教えられるようになるとか、分かりやすくするとか、あるいは私が活躍することで御恩返しが出来たらなぁ、と思っています。
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