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多事奏論

姫路出身、長岡在住のフルート・篠笛奏者によるblog。フルート・篠笛教室もやってます。お気軽にお問い合わせください。ブログ内の画像はクリックすると拡大版が見られます♪

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自己表現

「音楽を通じて自己を表現する」。
こう言われると安っぽくて、ちょっと抵抗を持ってしまう私です。
何が嫌いかって。
「~~を~~して適切に表現している」という評価の項目。歌ってるのを見るだけで分かるんですか!? 身体をオーバーに揺らして歌ってる子は合格、シャイなので動けなくて、でも声はきれいで、って子はアウト? 結果的には前者が評価されている。意味わからん!

もう十年以上も事あるごとにボヤき続けてるのに、一向に改まらない。それどころか、どんどん指導不可能になっていく音楽教科書……って、そりゃ私が言ったところで変わるわけないですけど(笑)。


分かりやすくボヤきますと、今の音楽の教科書は。
包丁でやっと輪切りが出来るようになった子に、中華作れ。和食作れ。タイ料理作れ。フレンチ作れ。ぜんぶ一品ずつね。って言ってるようなもん。それぞれの専門のシェフじゃなくて、ずっと家庭料理一筋で作ってきたような人にその指導を求めてるわけ。
ちょっと指導者を集めて、街の専門のシェフの指導でひととおりメニューを作らせて。では教えて来い、って。

実際教えるとなると時間も無いし、ムリだから。中華のスープは粉末ダシで、点心の皮類は市販品で。味付けも市販シーズニングで代用……うん、確かに中華っぽくはなるよね?
フレンチもダシ取らないで缶詰フォン・ド・ボーで。フュメ・ド・ポワソンなんて教えるほうもそれまで知らなかったけど、まぁそれっぽいものを買って来て味をみて、こんなもんかと。。。

缶詰や粉末ダシって、実際ちゃんと作ったものとはかなり違う味。料理なんて適当でも案外美味しく出来ちゃうの。
だから簡単に作って食べて、はい、おしまい。美味しかった。他にこんな料理がありますよ。国についても調べてみましょうか? いろんなことが経験できて、良かったね。また自分でもやってみてね。これこれは覚えてね。テストに出します。


……それでいいのかな? まぁいいんでしょう。楽しめたし、何かのきっかけにはなるかもしれない。
だけど私はむしろ体験させるなら、タイ料理でスパイス類を乳鉢に入れて、棒でがしがし潰させたい。文化の違いから味わわせてみたい。なんで棒で潰すの? 何のためのスパイスなの? っていうところから生活が見えてくると思うのです。
いろんな項目があっても、あるエッセンスを教えれば効率的に本質を学ぶことが出来る。深く。
その準備として、専門家がいくつかのエッセンスを実際に取り出して、示唆する必要がある筈なんです。時間がないのにコレコレやれって言うのなら。ところが、この示唆の方向がどうも間違っている気がしてなりません。
また、専門家は自分が出来ちゃう人だから。第一段階と第二段階の間の段差に気付かず、突然難しくなるようなモデルを示してしまうことがあります。
(いろいろやって、「体験」した気になってしまう。浅く広くは悪いことではないけど、味気ない気がする。○○できて良かったです、と作文に書いて終わる気がする。そこに「体験」という言葉の落とし穴があるように思うのだが……まだそれがどこかは、私も適切な言葉では表せません。例えば、芸術であるなら、ガツンと心に残るインパクトなり、すぐに気付かない引っ掻き傷なり、体験した人の心に遺したいね。)


そんな中……素晴らしい指導者は、専門家のところへ個別に習いに行ったりしています。フレンチやる前に、フレンチのシェフに指導を受けに。それで、「フレンチはこういうものだと思っていたけど、実際はこういう面があって、こうなんですね」と掴んで行く。
そういう方に教われば、感動できる部分もあると思うのです。
ただし、本来は何年もしなければいけないところを数回で終わらせるので、短期間で気付きを与えられるシェフに習えなければあまり意味が無いかもしれません。手間掛かるんですね、みたいな違う感想を持ち帰られてしまうかも。

また、自分はイタリアン専門なので、イタリアンはガッツリ濃く! フレンチはさらっと、という潔い方も居ます。やはり一分野でも専門を極めた方ですから、専門分野では感動させられるのは当たり前として、そのほかの分野でもキラリとしたものをお持ちです。
何人か存じ上げておりますが、そういう方々が身近に居るのに、皆さんなぜ見習おうとしないのか……私なら突撃して教えを請いたい(^^;
そうやって私と同じく突撃している方を見ると、やはりその方の感性も素晴らしいなと思うし。


……あれ? 食べ物で例えるからワケ分からんようになったか……。
いいや、食べ物で押せ(笑)。

私がよく例えるのは、カレー。日本の、ルゥでドロドロしたカレーが当たり前にカレーだと思っていると、知識無くインドのカレーを見たときに「なにこれ?」と思うようです。
現在、残念ながら日本で蔓延っている音楽の殆どが、日本のカレーです。ルーツを知らずに悦に入っている状態。その原因はどこかと。
教える側なんですよ。
盆踊りのリズムでバッハを演奏してる。間違ったリズム、間違った奏法。
それを正しいと思い込んだままで自己表現?
まぁ、いいですけど、楽しければ……音楽なんて楽しければいいんですけど。
だけど、ちゃんとしようって人も居る中で、楽しければ自己流で良いという人ほど、他人を攻撃するのです。これは何なんでしょうか。世界でカレーと言えばルゥを溶かすどろどろしたカレーだと信じて疑わない人。
これってやっぱり、教える側に原因があったとしか思えないのです。きちんと他の可能性を見せられなかったから。

学校にしろ、教室にしろ、いろんな可能性が見えるように教えていくべきだと思います。
可能性を排除してひとつだけを追うのは、それこそ専門家だけでいい。
これはこうだ、と断定しなければいけないケースは、「師匠! 師匠に一生付いていきます!弟子にしてください!」という時だけだと思いますから(笑)。
「この曲は知らないから面白くない」「日本の音楽は興味ないから全く視聴しません」……こういう意識を変えられなくて、何が「音楽を通して自己表現」かと。

奏法や曲を覚えるのだけがレッスンじゃない。
「習いに来てるのはフルートだけど、オーケストラも聴いてみよう、箏も聴いてみたら面白い」ってなって欲しい。
狭い選択肢しか持ってなくて、その中で自己表現とか言って満足しないで欲しい。
分かった気にならないで欲しい。
でも、闇雲にアレコレ聴いたって、全く面白くない。それを面白く聴くための土台やヒント、興味のきっかけを、講師は示さなければいけない。
生徒の興味がストップするということは、音楽講師の敗北なんだ。


とか何とか。
朝っぱらから何をボヤいてるんだか(笑)。
いろんな優秀な生徒さんにお稽古をつけてて、次はどう料理しましょうか、って家でひとり考えた時に、ストレスがはみ出てしまうようです。スケジュールの超タイトだったライター時代の癖で、書きながらでないと頭が整理されないのかもしれません(^^;

私の生徒さんの中には、いろんな分野の専門家さんというか先生方が多くいらっしゃるのですが、雑談ですが伺ってると、やはり何かを修めた方は違うなと思ってしまいます。共通しているのは、「忙しい」と言わないこと。「時間がない」を言い訳にしないこと。常に、仕事も習い事も目標を持って取り組んでいること。楽器を教えていながら、その方々の生き方そのものが私にとって非常に刺激になっていますし、また、勉強させて頂いています。

余談ですが、音楽家と料理は、案外関係あったりします。ロッシーニは美食が嵩じて、料理を創作するほうへ行ってしまいました。フレンチに「ロッシーニ風」と付くものがありますが、これは彼が開発したものです。
また、舌が鋭敏であると、音に対しても感受性が研ぎ澄まされているような気がします。
ちなみに、私が化学調味料を極力摂らないのは、食べると気持ち悪くなるからであって、美食ではありません(笑)。あれ入れると、何を作っても同じ味になるというのは否定できない……。
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