岩城宏之氏
オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督、NHK交響楽団正指揮者、東京混声合唱団音楽監督、札幌交響楽団桂冠指揮者、メルボルン交響楽団首席指揮者……など、世界的に活躍されていた指揮者の岩城宏之氏が、先月13日、逝去された。73歳だったそうだ。
ここ2ヶ月ほど忙しくて新聞もいい加減に読んでいたので、車いすで活動されていることは知っていたが、逝去は不覚にも今知った。
1975~88年に正指揮者、音楽監督を務め、その後桂冠指揮者として客演していた札幌交響楽団からは、次のようなコメントが発表された。
札響桂冠指揮者岩城宏之氏は、1975年にP.シュヴァルツ氏の後任として札響正指揮者に就任、78年からは11年間、音楽監督として在籍され、オーケストラの飛躍的向上につくされました。「澄んだ音の札響」の原点です。
この間、全曲を武満徹作品で揃えた定期演奏会や1985年、黒澤明監督の「乱」(音楽・武満徹)のサウンドトラック収録をするなど、次々と大きなプロジェクトを成功させました。
お蔭で札響は「武満が愛したオーケストラ」として内外にアピールさせていただいております。これは一重に岩城氏と札響の相性の良さを証明するものです。
また岩城氏のバイタリティーある演奏スタイルは多くのファンを作ってくれました。
まだ若かったオーケストラをP.シュヴァルツ氏が基礎作りをされ、花を咲かせた岩城氏は黄金期を作って下さいました。
岩城氏は札響の楽員とも家族のような付き合いをされており、昨年の定期演奏会に来演の折りには、楽員たちと札幌ドームに日本ハムの応援に出かけられ、大いに楽しまれました。まだまだご一緒に演奏したかったですが、誠に残念です。ご冥福を心からお祈りします。(事務局長・宮澤敏夫氏)
私には、岩城氏、と言えば、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)のイメージが大きい。
それから、著作の数々。「フィルハーモニーの風景」(1991年日本エッセイストクラブ賞受賞作)、「森のうた」、「オーケストラの職人たち」、「音の影」「チンドン屋の大将になりたかった男—N響事務長・有馬大五郎」(NHK出版)、「指揮のおけいこ」「男のためのやせる本」などなど……中でも「棒ふり旅がらす」は、高校生の時に楽しんで読んだ。
それまで文学作品を主に読んでいたのが、この本をきっかけに、音楽に関する本を読みはじめた。中には「モーツァルトは子守唄を歌わない」という笑える本もあるが…
それらの本を読んでいて、要らぬ雑学をたくさん仕入れた私。しかし音楽学生時代に役立ったものも多数あったので、無駄では無かった…と思う。
忘れられない出来事がひとつ。短大時代の、確か「ピアノ伴奏法」の講義で、当てられたときのこと。
先生「~~ヴィヴァルディの職業は何でしょう?」
え?
いつの時期の?
しかし、作曲家の職業をわざわざ聞くからには、ちゃんとした職業のことなんだろう、と即答した。
「司祭です」
彼は作曲家に専念する前には、「赤毛の司祭」と呼ばれていた。時期を限定されなかったので、職業は司祭で正解なのである。
ところが。
先生は笑ってるし、つられてクラスのみんなも笑っていた。
先生「答えは、作曲家です」
…………
今の私なら食って掛かったところだが、当時は「私が間違っているかもしれない」と少し思い、黙って席についた。
授業終了後、空き時間に図書館で調べてみたら、やっぱり司祭で合ってるじゃないか!
抗議しに行くバイタリティも無かった……がっくりしすぎて。
母校にこんな先生が居る、と思われるのは嫌だが、私がそこへ入学したのは、「家から通える」「授業料が安い」「受験勉強せずに入れる(主要3教科のレベルが低い)」「習いたい先生が居た」という程度なので愛校精神が全くなく、構いやしません(入学してから尊敬する先生や恩師がたくさん出来たがまた別のことだし)。
ここ2ヶ月ほど忙しくて新聞もいい加減に読んでいたので、車いすで活動されていることは知っていたが、逝去は不覚にも今知った。
1975~88年に正指揮者、音楽監督を務め、その後桂冠指揮者として客演していた札幌交響楽団からは、次のようなコメントが発表された。
札響桂冠指揮者岩城宏之氏は、1975年にP.シュヴァルツ氏の後任として札響正指揮者に就任、78年からは11年間、音楽監督として在籍され、オーケストラの飛躍的向上につくされました。「澄んだ音の札響」の原点です。
この間、全曲を武満徹作品で揃えた定期演奏会や1985年、黒澤明監督の「乱」(音楽・武満徹)のサウンドトラック収録をするなど、次々と大きなプロジェクトを成功させました。
お蔭で札響は「武満が愛したオーケストラ」として内外にアピールさせていただいております。これは一重に岩城氏と札響の相性の良さを証明するものです。
また岩城氏のバイタリティーある演奏スタイルは多くのファンを作ってくれました。
まだ若かったオーケストラをP.シュヴァルツ氏が基礎作りをされ、花を咲かせた岩城氏は黄金期を作って下さいました。
岩城氏は札響の楽員とも家族のような付き合いをされており、昨年の定期演奏会に来演の折りには、楽員たちと札幌ドームに日本ハムの応援に出かけられ、大いに楽しまれました。まだまだご一緒に演奏したかったですが、誠に残念です。ご冥福を心からお祈りします。(事務局長・宮澤敏夫氏)
私には、岩城氏、と言えば、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)のイメージが大きい。
それから、著作の数々。「フィルハーモニーの風景」(1991年日本エッセイストクラブ賞受賞作)、「森のうた」、「オーケストラの職人たち」、「音の影」「チンドン屋の大将になりたかった男—N響事務長・有馬大五郎」(NHK出版)、「指揮のおけいこ」「男のためのやせる本」などなど……中でも「棒ふり旅がらす」は、高校生の時に楽しんで読んだ。
それまで文学作品を主に読んでいたのが、この本をきっかけに、音楽に関する本を読みはじめた。中には「モーツァルトは子守唄を歌わない」という笑える本もあるが…
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それらの本を読んでいて、要らぬ雑学をたくさん仕入れた私。しかし音楽学生時代に役立ったものも多数あったので、無駄では無かった…と思う。
忘れられない出来事がひとつ。短大時代の、確か「ピアノ伴奏法」の講義で、当てられたときのこと。
先生「~~ヴィヴァルディの職業は何でしょう?」
え?
いつの時期の?
しかし、作曲家の職業をわざわざ聞くからには、ちゃんとした職業のことなんだろう、と即答した。
「司祭です」
彼は作曲家に専念する前には、「赤毛の司祭」と呼ばれていた。時期を限定されなかったので、職業は司祭で正解なのである。
ところが。
先生は笑ってるし、つられてクラスのみんなも笑っていた。
先生「答えは、作曲家です」
…………
今の私なら食って掛かったところだが、当時は「私が間違っているかもしれない」と少し思い、黙って席についた。
授業終了後、空き時間に図書館で調べてみたら、やっぱり司祭で合ってるじゃないか!
抗議しに行くバイタリティも無かった……がっくりしすぎて。
母校にこんな先生が居る、と思われるのは嫌だが、私がそこへ入学したのは、「家から通える」「授業料が安い」「受験勉強せずに入れる(主要3教科のレベルが低い)」「習いたい先生が居た」という程度なので愛校精神が全くなく、構いやしません(入学してから尊敬する先生や恩師がたくさん出来たがまた別のことだし)。
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