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多事奏論

姫路出身、長岡在住のフルート・篠笛奏者によるblog。フルート・篠笛教室もやってます。お気軽にお問い合わせください。ブログ内の画像はクリックすると拡大版が見られます♪

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「習う」考

そもそもの話、「習う」という言葉の意味自体を考えることは、あまりないのではないかと思います。
講師は「教える」ことにフォーカスしてしまいがち。
私の場合はまだ「習いに行っている」立場でもあるので、「習う」気持ちは失っていないつもり……技術を教わるというより、練習して行って確認みたいな感じだけど……これもあとで分類しよう。

さて、「習う」とは。

なら・う〔ならふ〕【習う/▽慣らう/×馴らう】 の解説

[動ワ五(ハ四)]

1 教わったことを繰り返し練習して身につける。けいこする。「夜ふけに一人でダンスのステップを―・う」
2 知識や技術などの教えを受ける。教わる。学ぶ。「父から将棋を―・う」「中学で―・った先生」
3 経験を積んで、なれる。習慣となる。
「心ざしはいたしけれど、さるいやしきわざも―・はざりければ」〈伊勢・四一〉
4 慣れ親しむ。
「かく久しく遊び聞こえて―・ひ奉れり」〈竹取〉


「倣う」という漢字もありますが、これはどうでしょうか。

なら・う〔ならふ〕【倣う/×傚う】 の解説

[動ワ五(ハ四)]《「習う」と同語源》

すでにあるやり方、例をまねて、そのとおりにする。手本としてまねをする。「前例に―・う」

以上、goo辞書より。

ほとんどの方がイメージし、実行している「習う」は、上の「習う」の1・2だと思います。教わって、練習する。

このコロナ禍でオンラインレッスンも盛んになり、私も開催しています。
主婦だったり、お仕事が多忙だったり、体調が不安だったり。皆さんそれぞれにご事情ある世の中ですから、「通う時間が要らない」「天候に左右されない」ことは大きなメリットです。コロナ終息後もオンラインレッスンは残るでしょう。

一方で、オンラインレッスンはしないという先生もおられます。
こういった先生が教えられているメインの生徒というのは、「教わって練習する」段階に無い人。
冒頭で私も習っている立場だと書きましたが、私はこちらのパターンの生徒に入ります。
もちろん、教わってはいるのですよ。ちょっとした指の使い方、考え方、知識、響かせ方など。
「それ、オンラインでも出来るでしょ?」
と、思いますよね。
でも、そうじゃないのです。

例えばフルートの場合は、とにかく技術が多く細かいため、マイクでなく生の響きを聴いてもらわないとどうにもなりません。
高性能マイクなら? と思うかもしれませんが。ところがそもそもの話、目の前で聴く音とホールで聴く音は全く違います。
目の前でAさんとBさんが音を出していて、この場ではAさんの音が大きいなと思っても、ホールでは圧倒的にBさんの音のほうが大きいということがあります。この響きの部分をレッスンしないといけないとなると、オンラインでは難しくなります。

篠笛の場合は、フルートほど技術がシビアでは無いのですが、圧倒的に対面レッスンが良い理由は、「空気はマイクに乗らない」一点のみ。
相手を含めた部屋の空気を作る、読んで間を計って次の音を出す。
ああ、武術で言うところの、「間合い」ですね。二重奏などもそう。
これはオンラインではできない。

このように、上級者に近付けば近付くほど、対面レッスンが有効になっていきます。さきほど辞書で引いた、「習う」の3に相当します。
不思議なことに中級くらいの方でも、オンラインと対面では、上達スピードが違います。結局のところ、楽器練習は「技術だけではない」ということでしょうか。凄いのは「プロ野球」だけど、心を打つのは「本気の高校野球」、みたいな感じ?



私の教室に来られている生徒さんとも、たまにこういう話になります。
カルチャー教室で習っていた時よりも、私の自宅教室に来ている今のほうが、「いろんな楽譜や楽器を見せていただけるから知識が増える」と言ってくださいます。
もちろんカルチャー教室でも教える内容の幅は広げたいから、可能な限り持参できるものは用意しますが、話が脱線した時に「あ、そういえば」と言って実物を取り出すことはできません。
また別の生徒さんは、「いろんなお話を聴かせていただいて、それがトータルで上達に結びついてる気がする」と言ってくださいました。

日本には、付き人、という古い制度があります。外野から見れば「雑用係」のようでかわいそうに見えるのですが、学ぶ人は学ぶのだと、今は大物になっている某落語家さんが仰っていました。お稽古の時とは別に、家の外を歩くとき、食事のときなど、場面場面で師の考えと出会います。そういえば、という話もあります。これが全部自分の芸になるのだと。

一般人の私達が師匠のお世話をすることはさすがに無いけれど(笑)、場面が変わると、普通の人は聴いていないであろう話も聴けます。これが上達に関わるのだから面白いなと思います。
古い生徒さんが、「せっせとレッスン室のドアを開けに来ます」と仰っていました。お茶の先生からの教えだそうです。お茶室の扉を開けることで、その日のレッスンの7割8割は終わっているのだと。だから、進歩が遅いのに練習をあまりしない私は、そこで欠席するのでなく、ドアを開けにきます、と。目からウロコでしたね。
問題は、こういったことに気付いたり、凄いなと感じるのが、大人になってから、ってことですよね。学生のうちにこれが実感として分かっていれば、学校の勉強でも何でも、もっと身についていたなと思うのです。ま、ま、大人の楽しみってことにしときましょうか(笑)。
となると、このコロナ禍下であれば、師匠と全く会えない間は、電話なりオンラインレッスンなりで繋がっておくことも、上達のカンフル剤になるかもしれませんね。辞書の引用で言えば4の「慣れ親しむ」がこれに当たるのでしょうか。

一応繰り返して書いておきますが、この記事は、オンラインレッスンがダメという話ではありませんよ。かなり上級になると効果が疑問符であるというだけで、それまでは、何かしら学べるところはあります。
むしろ、レッスン中に、「演奏しているときだけ気合いを入れて、皆で話しているときは聞いていない」というのは勿体ないかもしれませんよ、というお話です(そうだっけ?)。
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