最近嬉しかったこと――篠笛というジャンルについて
私の生徒さん方が作ったサークルがあります。篠笛サークル「蝸牛(かぎゅう)の会」。
いまは代表の方や結成の時に居た会員さんは身を引いておられますが、第二世代の方が頑張って、代表の留守を守っておられます。
(……結成時の皆さまが戻って来られることを、いつでも待っています! I坂さん! I川さん! K持くん!)
さて、この会。たまたま「私の生徒さん」が立ち上げられたというだけで、私からは独立しておりますので、門下外の方もご参加いただけます。私としても、「自分の生徒さんがしているサークル」というより、「私の生徒さんが発案して生まれたサークル」ということで、自主的にしてくださっていることが何よりも嬉しいです。
教室の目的というのは、先生によって様々だと思います。
優秀な生徒をたくさん輩出したい、が第一義な方は多いでしょう。優秀な生徒をたくさん出すということは、優秀な演奏家をたくさん生みだすということ。その生徒さんがやがて先生になり、また優秀な生徒さんをたくさん生んで行くでしょう。
私たち音楽家の世界にも、大事なこと。
私はそこまで考えていません。
もっと著名な方が、そういう優れた生徒さんを輩出すれば良くて、私は音楽の裾野を広げて行く役割だと思っているからです。
ところが残念ながら、新潟の篠笛というジャンルに於いては、そのような気持ちではダメだというのが実感です。裾野を拡げると同時に、レベルの底上げと、それ以前に篠笛という独奏楽器の地位の確立や、周知。それは為されていません。著名な演奏家と講師は違います。
こと篠笛に関してはいろんな吹き方がありすぎ、演奏形態がありすぎ、スタイルがありすぎます。
そんな中で、たいへん烏滸がましいですが、「独奏楽器としての地位の確立」という点では私がするほか無い印象です。
誤解を生む表現なので補足しますが。
合奏ではなく、ソロ楽器としてフルートを学んできた身だからこそ思うことです。篠笛のソロ楽器としてのレベルは、洋楽器に比べて断然に低い。酷いことを言えば、日本人の心に馴染む音、懐かしい音、正解のない音、エキゾチックな民俗楽器、というアドバンテージで誤魔化しているだけです。
フルートは、合奏も出来ますが、ソロでも素晴らしい演奏のできる楽器です。
ところが篠笛は、古来より専用の曲が無いことからも証明できるほど、独奏楽器としての地位は低いです。尺八ならば「鹿の遠音」「巣鶴鈴慕」などが簡単に頭に浮かびますね。箏と言えば「六段の調」など。(以上、中学校音楽の教科書より)
胸に響くからそれで構わない、というのは、民俗楽器という味に胡坐をかいているだけに過ぎなく、技術が加わればより素晴らしい楽器に鳴り得ることを放棄していると言わざるを得ません。
そう思ったときに、篠笛のための独奏曲、というジャンルが俄然魅力的に見えてきました。
しかし、そこに思いを馳せるのはごくごく一部のプロだけであるべきで、大半のかたは技術に寄らない素朴さや楽しさを体現して欲しいという矛盾もあります。
ですが、私はこのジャンルをまず追っていきたいと、今は思ってます。
話がかなり逸れましたが……
私の教室では、カルチャー教室のグループレッスンでも、中級以上になるとソロ曲を練習して頂きます。
いえ、合奏の段階から、西洋音楽とは違う間などを大切に教えているつもりです。
お蔭で(?)、生徒さんが外で演奏すると、聴いてくださった方からはとても好評です。何組かが演奏された後だと、「篠笛らしい気がする」とお褒めくださるようです。
実はこっそりと、音楽的に人の心に沿う演奏法を混ぜ込んで教えているからなのですが(笑)。
そんな中で。
そのスタイルが絶対とは思いませんが、やはり基礎は大事だと思います。
そして、その基礎が分かり始めたら、同時に、合奏の楽しさを味わいながら他のことにも気付いても欲しいのです。
冒頭に申しました、篠笛サークル。
そんな感じで、生徒さんがいろんな可能性や楽しさに気付いて、もっと演奏を楽しむようになってくれるのなら、そんな嬉しいことはありません。
最近、長岡の生徒さんと、柏崎の生徒さんと、三条の生徒さんを結べそうな出来事がありました。
うまくいくかどうか分かりませんが、きっとうまくいって、お互いのプラスになるであろうと確信しています。
それを快く受け入れてくださったベテラン生徒さんにも感謝!
もう、とっても楽しみ。
こういう繋がりが出来ていくのを見ていると、「教える仕事をしていて本当に良かった」と思えてきます。
いまは代表の方や結成の時に居た会員さんは身を引いておられますが、第二世代の方が頑張って、代表の留守を守っておられます。
(……結成時の皆さまが戻って来られることを、いつでも待っています! I坂さん! I川さん! K持くん!)
さて、この会。たまたま「私の生徒さん」が立ち上げられたというだけで、私からは独立しておりますので、門下外の方もご参加いただけます。私としても、「自分の生徒さんがしているサークル」というより、「私の生徒さんが発案して生まれたサークル」ということで、自主的にしてくださっていることが何よりも嬉しいです。
教室の目的というのは、先生によって様々だと思います。
優秀な生徒をたくさん輩出したい、が第一義な方は多いでしょう。優秀な生徒をたくさん出すということは、優秀な演奏家をたくさん生みだすということ。その生徒さんがやがて先生になり、また優秀な生徒さんをたくさん生んで行くでしょう。
私たち音楽家の世界にも、大事なこと。
私はそこまで考えていません。
もっと著名な方が、そういう優れた生徒さんを輩出すれば良くて、私は音楽の裾野を広げて行く役割だと思っているからです。
ところが残念ながら、新潟の篠笛というジャンルに於いては、そのような気持ちではダメだというのが実感です。裾野を拡げると同時に、レベルの底上げと、それ以前に篠笛という独奏楽器の地位の確立や、周知。それは為されていません。著名な演奏家と講師は違います。
こと篠笛に関してはいろんな吹き方がありすぎ、演奏形態がありすぎ、スタイルがありすぎます。
そんな中で、たいへん烏滸がましいですが、「独奏楽器としての地位の確立」という点では私がするほか無い印象です。
誤解を生む表現なので補足しますが。
合奏ではなく、ソロ楽器としてフルートを学んできた身だからこそ思うことです。篠笛のソロ楽器としてのレベルは、洋楽器に比べて断然に低い。酷いことを言えば、日本人の心に馴染む音、懐かしい音、正解のない音、エキゾチックな民俗楽器、というアドバンテージで誤魔化しているだけです。
フルートは、合奏も出来ますが、ソロでも素晴らしい演奏のできる楽器です。
ところが篠笛は、古来より専用の曲が無いことからも証明できるほど、独奏楽器としての地位は低いです。尺八ならば「鹿の遠音」「巣鶴鈴慕」などが簡単に頭に浮かびますね。箏と言えば「六段の調」など。(以上、中学校音楽の教科書より)
胸に響くからそれで構わない、というのは、民俗楽器という味に胡坐をかいているだけに過ぎなく、技術が加わればより素晴らしい楽器に鳴り得ることを放棄していると言わざるを得ません。
そう思ったときに、篠笛のための独奏曲、というジャンルが俄然魅力的に見えてきました。
しかし、そこに思いを馳せるのはごくごく一部のプロだけであるべきで、大半のかたは技術に寄らない素朴さや楽しさを体現して欲しいという矛盾もあります。
ですが、私はこのジャンルをまず追っていきたいと、今は思ってます。
話がかなり逸れましたが……
私の教室では、カルチャー教室のグループレッスンでも、中級以上になるとソロ曲を練習して頂きます。
いえ、合奏の段階から、西洋音楽とは違う間などを大切に教えているつもりです。
お蔭で(?)、生徒さんが外で演奏すると、聴いてくださった方からはとても好評です。何組かが演奏された後だと、「篠笛らしい気がする」とお褒めくださるようです。
実はこっそりと、音楽的に人の心に沿う演奏法を混ぜ込んで教えているからなのですが(笑)。
そんな中で。
そのスタイルが絶対とは思いませんが、やはり基礎は大事だと思います。
そして、その基礎が分かり始めたら、同時に、合奏の楽しさを味わいながら他のことにも気付いても欲しいのです。
冒頭に申しました、篠笛サークル。
そんな感じで、生徒さんがいろんな可能性や楽しさに気付いて、もっと演奏を楽しむようになってくれるのなら、そんな嬉しいことはありません。
最近、長岡の生徒さんと、柏崎の生徒さんと、三条の生徒さんを結べそうな出来事がありました。
うまくいくかどうか分かりませんが、きっとうまくいって、お互いのプラスになるであろうと確信しています。
それを快く受け入れてくださったベテラン生徒さんにも感謝!
もう、とっても楽しみ。
こういう繋がりが出来ていくのを見ていると、「教える仕事をしていて本当に良かった」と思えてきます。
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