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多事奏論

姫路出身、長岡在住のフルート・篠笛奏者によるblog。フルート・篠笛教室もやってます。お気軽にお問い合わせください。ブログ内の画像はクリックすると拡大版が見られます♪

2013年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年06月

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らっきょう

昨年漬けたらっきょうの画像が出てきました。
  ※誤字があったので後刻に訂正。「着ける」とか。何に(^^;

20130526

今年もそろそろ。
店頭にも、塩漬けのものが並び始めました。産地見てないけど。

私が狙っている(?)のは、鳥取産です。さきほど検索してみたら、もう少し先とのこと。
面倒だから塩漬けのを買いたいんだけど……やっぱり掘り起こした土付きのを買ってみるべきかなぁ。畑で掘り起こしたものをすぐ発送、翌日着なので、普通に店頭に並ぶより新鮮らしい。
そこまで新鮮だと違うものなのか?
試してみたいかもしれない♪

……どうせ届いてから家で放置してしまうから一緒、みたいな心配もあったりして……。

| 徒然 | 19:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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これから

何やらまた、風が動き出した予感。

昨年から、思いもよらぬ方向へ歩きはじめてる私。その都度自分で選択してきたこととは言え、自分の力だけではどうにもならない出来事が目の前に投げ出されて、抗えずにこなしていることもありますが。
だけど、それまでいろんな方面で培ってきた思いや出来事がひとつになって、昇華していくのを感じています。
またそれが呼び水となって、更にその奥へと誘われているような感覚も……。

2012-2013前半、今までインプットしてきたことを振りかえり、総括して、確認しながら再度アウトプットしているように思えます。人生には、こういうまとめの時期というものがあるものなのでしょうか?

まだまだ知らないことがあるのだなぁ。

出来事だけでなく、人との出会いや再会の中でも新しい視点を与えてもらえて、これはこの春からずっと実感していることだけど、目の前のものが全て新鮮に見えたりします。
歳をとると考え方が固まって、そう簡単に姿勢が変わることは無い、と聞いてきたけど……何歳になっても新しい発見はあるし、勉強もできるようです。まだ進化するよ、覚えは悪いけど!(笑)


まだ公表できていないお話もいくつかあります。
時期が来ればひとつずつ公表しますが、その中には、過去の出来事の完結として投げ出されたものもあります。
数年前に師匠に言われたことを、新しい場所で実践するようなものもあります。今日もひとつ、新しいお話がありました。


今まで撒いてきた種から育った出来事を、全て刈り取ることになるのかなぁ。刈り取った後は、全て無くなったりするのかなぁ? 全部刈り取ったつもりでも、ぽろっと種が落ちていて、また芽を出すこともあるけど……。
そのときどうなっていようと満足できるように、ひとつひとつしっかりと取り組んで行きたいなと思います。

んー、また暗い記事を書いてしまいました(笑)。

| 徒然 | 01:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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お悩み相談(?)

生徒のお母さまから、メール。

「もともと大人しい子だったのが、中学に入って更に寡黙になって、話をしてくれない。レッスンでは大丈夫でしょうか。」

……うーん、ありますよね~。
ただ、そういう時は、家の外では話すようになってるんですよね。この生徒の場合も、小学生の頃は私の前では「うん」か「ううん」だったのが、中学校に入って部活等で揉まれ、よく話すようになりました。しかも敬語になりました(笑)。
過去、小学生→中学生→高校生と成長してくる生徒たちを見てきましたが、みんなそんな感じでした。中学生になると受け応えが出来るようになり、高校生になると自分から話題を出すようになって、中には「お父さんはいいんだけど、正直お母さんがウザイ」とポロっと漏らす子も(^^;


多分、外で目上に話す言語を得たってことだと思うのです。大人としっかり対話の出来る子って、いい子が多いんですよね。親御さんにちょっとした文句がありながらも、面と向かって無茶を言わない配慮が出来たり。

身体が外へ出て行こうとしてるし、そこで気を張ってるから、家では反対に黙ってしまうんでしょう。無意識に甘えてるんだと思います。
特に報告しなくても怒られないし、頑張って話さなくても許してもらえると分かってるから。
キミは長年連れ添ってる彼氏か! みたいな(笑)。

外に世界を持ち始めて、外は外、と分けられるようになったということもありますね。
お母さまには、社交性が出てきて頼もしく思っています、とお伝え致しました。


話す体勢に無いときに構われると、「もう!」って気持ちになりますね。友達にはそんなこと言いませんが、気安い家族相手なら言ってしまう。それでもまた構われたら「ウルサイ」になります。これが続くと、だんまりを決め込むか、もっとハードな罵声になるかもしれません。わが子とは言っても一人の人間なので、機嫌に波があることは分かっておいたほうが良いです。
かと言って、放置もよくないのです。そこが難しいと思われるところですよね。
声を掛けるタイミング、答えたくなる話題、親子なので波長から読み取れることもあるかと思います。なかなか気を遣うかもしれませんが、そこでうまくいくと反抗期って特に無いかもしれません。


うちの長女の反抗期って、多分「…うん」って口数が減ったときだったのかな~。
「うん、~~~~~~! で、~~~~! わはははは!」
が、定番の返事なもので…逆に私が「もうええ、いま困る」って止めることもあって……私が反抗期!?(^^;

でもそれも、テキトーな相槌で聞いてあげるだけで、子どもは満足するから。この先、何年こうやって話を聞いてあげられるんだろう、って思うと、聞いてあげなきゃって思います。
私が「テキトー」出来ないから、イラっとしてしまうだけ……。
ま、そこは私流、「親だって人間なんだからイラっとするときはするんじゃゴルァっ! 親しき中にも礼儀あり、ある程度は空気読め!」ってことを知らしめるだけですよ(笑)。まぁ、けっこう我慢して、親の仕事はキッチリ果たしますけどね。
おそらく普通の親子関係ではないし、かと言って友達親子でもないです、私と長女は。よそ様よりは分かり合ってると思うけど、よそ様よりドライ……娘だから何でもしてあげたいとか思わないし、だけど放置でも無いし、何でしょうね、コレ(^^;
昔から一貫しているのは、「自分で頑張ってみて、どうしようも無くなったときに必ず頼れる存在」であろうと思ってるくらいかな~。過去一回だけ助けたことがあります。一回かい!

| 徒然 | 13:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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祖父のこと

朝ごはん(パンだけど)を食べるときの最近よくのぼる話題……私の祖父のこと。

祖父の朝食は毎日決まっていた。四枚切りの厚切りの食パンを縦半分に切ったのを一切れ、それにマーガリンじゃなくてバター、リーフから淹れる紅茶。たまにチーズや蜂蜜。お野菜は生だとたくさん摂れないから、畑で採れたばかりのキャベツを炒めたりしてた。それにトマトやセロリなど季節のお野菜をプラス。茹で卵はハードボイルド。

ロマンスグレーのダンディな、所謂往年の『モボ(モダン・ボーイ)』で、母など、一緒に歩いていたら「年上の彼氏?」って人から訊かれるくらいだったらしい。
会社を引退してからも、当然老人会でモテまくりw そりゃそうだ、そんな颯爽としたおじいちゃん、芸能人でもほとんど見ない。
しゅっとしてる分、私の友人なんかは「怖い」と言っていました(笑)。私はそういうおじいちゃんに懐いていたので、世の中の人の外見から「怖い」と思える人は全く居ません。


このおじいちゃんが音楽道楽で。今なら分かるのだけど、各種機器やレコード代に相当注ぎ込んでいたと思われます……夫としてはあかんパターンやで……昔だから子育ては妻任せだろうし。
私のちょっとコレクター入ったところもたぶん、ここから。私はお金が無いから満足に注ぎ込めてないけど……理解できない話では無いんだよね……知らん間に笛が増えてて、すまん、家族(^^;
その代わり、ちょっとした日曜大工とか機械いじりなどの血も引いてる。おじいちゃんは大工さんと一緒に部屋の増築しちゃったりしてたけど、そのかわり、私はクルマのボンネットあけて色々してみてた。これは隔世遺伝だな。父は壊す才能がありすぎるから(笑)。



このおじいちゃんの音楽道楽のおかげで、私は音楽家になったんだと思います。
おじいちゃんが赤ちゃんの私を寝かせるときは、ベートーヴェンの第五番が定番だったらしいし。ウインナワルツが好きで、ことあるごとにかけてた。日本人は3拍子が身体の中に入ってないので、演奏のとき苦労する人が多いけど、私は3拍子系は数えなくても流れで取れます。ウインナワルツの独特のリズムも心地よいし、身体に入っています。5拍子、7拍子もなんとも無い。

そんなおじいちゃんが「ピアノが上達したら弾いてくれ」と買ってきた楽譜が、『美しき青きドナウ』。私が弾きたいなと思って自分で買った曲が『ダニューブ河のさざなみ』。ワルツ、被った。しかも、ドナウ川=ダニューブ河(川)です。
……変わったレコードもありました。ジャケットが怖くて好きだった、太鼓のレコード。なんと佐渡の「鬼太鼓」でした。新潟に来てから知りました。私が新潟に来ることは決まっていたのかもしれません、あははー。



でも、残念ながら、満足いく演奏は聴かせてあげられなかったです。
私が20歳のとき、おじいちゃんは複数の病院に検査に出掛けはじめて。私が某中学校講師の手続きであちこち行くついでに、駅や病院に落としたりしました。
私の勤務開始とほぼ同時で入院。
勤務終わりの日に何回目かの危篤となり、翌日に亡くなりました。

私が自分の演奏に満足できはじめたのは新潟に来てから。いい演奏だったと人から言ってもらえるたびに、おじいちゃんに聴かせたかったなと今でも思うことがあります。
亡くなった人の話題が出るときって、近くまで来てくれてるんだとか言うし……私の音楽家としての流れが変わりそうな節目節目でおじいちゃんの話題が出るということは、見守ってくれてるのかな? って気もします。
こういうときは、迷ってても「GO!」サインなんです。「おまえの好きなようにしたらええ」って、聞こえるようです。
(いま何を迷ってんだ、って話ですけどね。この迷わない私がw まぁ、お楽しみに~)


自分の性格的に「もしかしたらファザコン?」と思っていましたが、父は全くどうでもいいので(ぁ)、ジジコン(笑)だったんだな、って確信しました。
もうあれから20年も経ったのか……法要で号泣しなくなったの、つい2年くらい前なのですが。今でもヘヴィに思い出すと涙ぐめます……そういうものなのかな?(^^;

| 徒然 | 12:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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真笛六笨調子

新しい笛が仲間入りしました。蘭情さんの真笛(まこぶえ)、六笨調子です。


実は唄用の六笨調子を持ってなくて、今まで古典調をメリカリで誤魔化してきていました。フルーティストの特技!? 古典調が好きで、他の調子の笛もそれメインで揃えていたもので。六笨調子に至っては、何故か4~5管も古典調を所持していました。
蘭情管の本漆仕上げ、朗童管の燻し、楽遂管の漆仕上げ、などなど。

ところが、そろそろちゃんとした唄ものも無いときついなぁ、と思いはじめていました。
最初に思ったのが昨年、山口幹文さんと「貝殻節」を吹かせていただいたとき。今回は、6月のおさらい会で二重奏をするので、それで。
早く買えば良かったのですが、それよりももっと必要な笛があったので、ストップしていました。

この度は、ついでがあったので注文してみたのです。しかも先日、岸田晃司くんが『ど』バージョンの蘭情管の記事を書いていたので、『ど』ってかわいいな、って思って、その篠笛ください♪的な感じでした。
果たして……やってきたのがこの真笛でした。『ど』どころか、普通の篠笛ですら無い(笑)!
篠笛強制卒業!?

20130523-2

唄口には私の親指が入ります……指孔には人差し指が入ります……それくらい大きいです。けっして細くは無い六笨調子の篠笛と並べてみました。


20130523

唄口の上に「プレゼント」と貼ってあるとおり、御礼のお電話をしたら開口一番、「どうぞ~使ってください~幹文さんが使ってる真笛です~」と言われました。

吹いてみた感じ、しっかり息が入ってくれるので気持ちが良いです。
当然ですが、音も大きいので、ダイナミクス(音量小~大の幅)が広がります。ということは、表現力もアップ。
ただ、手の小さい私の場合はフォームをしっかりしないと、指の幅より孔のほうが大きくてヤバいところが一ヵ所あります、2ミリ指を後ろに引いたらアウトです。徐々に慣れていこうと思います。


これで持ち歩く笛が増えました。
今のラインナップは……
 朗童さんの七笨古典と七笨唄もの
 蘭情さんの六笨古典と田楽笛(十苯調子)
これをフルートのバッグに詰め込んで、フルートもろとも持ち歩いていました。
そこへ、真笛追加。入るかなぁ……真笛、太いしなぁ……(^^;

| ♪楽器・演奏・教室 | 20:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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( ^-^)_旦~

この顔文字を使うのは何年ぶりか……(笑)

昨日のレッスン帰り、長岡西郵便局に寄ったら、笹だんごの試食会をしていました。
ペンと糊を借りようと中に入ったら、「ご試食どうですか? お茶もありますから~」と勧められまして……でもお断りしまして。
窓口で待ちながらチラシだけ拝見しました。

帰り際、PRのポケットティッシュを持って追いかけてきた方が。花粉症の家族が居て助かるので、お礼を言って更に帰ろうとすると、今度はおだんごを持った方が追いかけてきて、「どうぞ!車の中でご試食ください(^-^)」って。

これがその、試食用笹だんご♪

20130520

追いかけてまでそんなんくれたら、惚れてまうやろー!(んなわけないw)
食べ物に弱い顔してるんでしょうか……そう言えば、よく家族から、「お菓子貰ったからって、ついて行っちゃいけません」と言われています(--;

| 徒然 | 19:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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オカリナレッスン

どうしても篠笛やフルートの活動の陰に隠れてしまうのですが……実はオカリナも教えています。コンサートでの演奏はあまり機会がありませんが、いつも「素晴らしかった」と言って頂ける程度には得意だったりします(笑)。


今日はそんな、オカリナのレッスンの日でした。
「ハッピーマンデー」も良し悪しで……月曜日のクラスが、いつも犠牲になってしまって、授業が進まなかったりします。今日のクラスは、なんと、一ヶ月ぶり。
「あら、お久しぶり~~、お元気~? なんて言っちゃったりして(笑)」
と、受講生さんたちは盛り上がっておりました……もうちょっとやりたいんですけどね(^^;

本日の練習曲は、「青春時代」「365歩のマーチ」。
「先生、コレ知らないでしょう~」って言われながら教えてます。いえ、大丈夫、「青春時代」は保育園の頃、担任の先生がこの歌を好きで、お遊戯で踊ったことがあります。「365歩のマーチ」は家でおじさんがレコードかけてたのと、モノマネで見て知ってます!
その程度かーい(笑)。
まぁ、即興で伴奏できればいいんで……。教えるところは、そこじゃないですし。

それから、今日は新しく、成田為三作曲「浜辺の歌」をとりあげてみました。長年、中学一年生の教材になっているものですが、大人のほうが味わえる曲だと思います。

1番の出だしが、「あした浜辺をさまよえば 昔のことぞしのばるる」。
2番の出だしが、「ゆうべ浜辺をもとおれば 昔の人ぞしのばるる」。

なんで1番が「明日」で2番で「夕べ」って昨日に戻ってるんだ? と昔は思っていたものですが……「あした」は「朝」、「ゆうべ」は「夕」なんです。

めんどくさいから(ぉぃ)、中学校校歌で「あした」なんて出たときは、「その元気のなさ、明日じゃなくて昨日みたいになっとるよー!」と片付けますが(笑)、歌詞の意味を解説するときはちゃんと言います。
「『あした』って希望の『朝』のことだよ? なんでそんな希望のない声になるかな~~床に全部落ちて溜まってるよね~? どーすんのコレ(笑)」と。改めて文字にすると酷いこと言いまくってるな~…まぁそれは置いといて……(^^;

「昔の~~ぞしのばるる」については、浜辺に立って昔の、例えば江戸時代など古きよき時代を想像してるのかと思ったら。これはリアルに自分にとっての「昔」で良いようです。

歌詞の成立の経緯は調べたら分かるので割愛するとして……朝に浜辺をそぞろ歩いて、昔の人や出来事をふと思い出す……浜の空気、雰囲気、風の音、波のさま……大人の方には、きっと思うところがある情景だと思います。

また、朝と夕に訪れていることについて。
もしこれが同じ日だとしたら、旅行かもしれない。明日帰るから、夕方も散歩に出てみた。ということは、昔、家族や友人など、誰かと海辺に来たとか、そんな思い出もあるかもしれない。
そんな想像も広がるのではないでしょうか。


オカリナクラスでは、こういった唱歌を扱うことも多いです。また、オカリナの音が唱歌に合うのです。
私が解説していくと、受講生さんたちの自由な発言がまた別の発想を呼んで、少し雑談するうちにいろんなイメージが出来てきたりします。一方的に教えるのではないメリットがあります。そういうことができた日は、とても充実感があります。
今日はそんなレッスンが出来たんじゃないかなぁ~。




| 徒然 | 16:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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神懸かり

神霊の仕業かとも思われるような様子を「神懸かった様子」とか言います。
(※ よく使用される「神懸かる」は一見正しい終止形に見えるが、「神懸かり」はサ変動詞であるので、正しくは「神懸かりする」が終止形。)

最近、気晴らしにネットでライヴ映像なんかをよく観てるのですが、同じ曲でも会場によって印象が違います。付けられたコメントにも、「○○会場のが一番!」「○○でのこの曲は神懸かってました!」というものが。確かに、同じツアーを二つ続けて聴きにいくと、構成は同じなのに印象が違ったりしています。


演奏する立場から、ふと考えてしまいました。
同じ曲なのに違うとき。確かに、あります。自分の気持ちが研ぎ澄まされて、集中力が増すのが分かるとき。そういうときは「とても良かった!」と言って頂けることが多い。
「○○の曲を吹き始めたとき、会場の空気が変わったね」と言われることもあります。
そう、空気が変わるんですよ。それは自分でも分かる。
そういうのが、ちょっと神懸かった感じ? なのかな? 演奏している私は、自分が自分でなくて、ただ音楽を実体化させる媒体であるような、そんな感覚に陥っています。そのときは何も考えられませんから、あとから考えたら、ですけど。

演奏だけでなく、学校の授業でもたまに感じることがあります。昨年度末の1年生の授業は凄かったなぁと……あれを超えるものはしばらく無理だな、と思っています。
場が違うと、指導案が同じでも、「同じ授業」はもう出来ないですからね。


「良い演奏・授業をした」というのと「神懸かってたかもしれない」と思うのと、何が違うんだろう、と言えば、空気が違う、これに尽きます。
場の空気を操ってる感じがするんですよ。
部屋の中の空間、隅まで全て支配して、全部を自分が好きに使う。その場に居る人たちの呼吸も貸してもらってる。会場が一体になって、演奏後のため息がみんな一緒のタイミングになったりする。
レッスンの時は1対1のことが多いから、人の「気」の数が少ないからか、「良いレッスンをした!」というのが最上級にきてる気がします。空間の支配までは至らないですね。教えてるのであってコンサートではないから。

とすると、学校での授業は「教える」というより「レクチャーコンサート」に近くて、教えながらも一緒に音楽を楽しむ、という気持ちが私の中で大きいなというのが分かります。
もとより、そのつもりですが(笑)。幸い、それが許される中途半端な立ち位置だと思うし。多分。基本は押さえますが、それに加えて私にしか出来ないことをしなければ、私である意味が無いからね。音楽全般を捉えてエッセンスを抽出すれば、「音を媒体とした自己表現とコミュニケーション」になると思うんだけど……どうだろう。これを生徒の身体に気付かれず埋め込みたい。そんな野望が基になっています(笑)。


で、神懸かり……これを一度味わうと、虜になるんです。
昨日の記事に、篠笛の勉強のためにフルートを断つことができなかった、と書きましたが、私がフルートを止められなかった原因は、このためでもあります。会場との一体感、場への支配感をまた味わいたい。
篠笛でもそういう瞬間を味わうことが出来るようになって、それで少し自信が付いて、演奏会にも積極的に出るようになりました。
常にそういう演奏が出来たら良いのでしょうけど。こればっかりは、会場そのものの雰囲気もあるし、あまり自由になりません。だからと言って、依頼された演奏を選り好みする身分でもないし。もちろん、どこであっても良い演奏はしますけど……神様は私以上に気まぐれですからね(^^;
せめて、そういう瞬間が少しでも多く訪れるよう、自分を磨いて行こうと思っています。

| 徒然 | 13:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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奏でる

皆様すっかりお忘れですが、私、専攻がフルートなんです!
新潟県下でも割といろんなところでフルートを吹いてきたはずなのですが、気付けば「篠笛奏者」として認識されることが多くなってきました。
フルートのほうが巧いのに~~! と思う時期もありましたが、二束の草鞋というか二刀流というか、両方できることを誇りに思えるようになった今日この頃です。

開き直ったあたりから、「ふえist」と名乗り始めたのですけどね(笑)。

両方、横から息を吹き込むから簡単だろう、と思われたりするのですが、本人、案外苦労しています!
声が出るからと言って、民謡を上手に歌えないのと同じです。その音楽を知らないことには、どうしようもない。
案外世の中、こういうことはあるようで。
料理が上手だからと言って、お菓子作りも上手とは限らない。及第点は取ると思いますが、お菓子を専門的に?趣味にしている人には敵わないでしょう。

私の場合、偶然、師匠がフルートから篠笛へ転向された方で、アドバイスをたくさん頂けました。
師匠の師匠も、そう。周りを見渡すと、そういうプロ奏者がけっこう居らっしゃったりして……。
お話を伺うと、やはりいちどフルートを断って篠笛に集中した、という方も多いです。
ただ、私はフルートを思い切ることもできなくて。中途半端さに悩んでいました。
そのとき、師匠もかつて悩まれていて、ある時それも自分なのだと気付いた、とお伺いしました。

私の音はフルートの経験も含めてのもの。
もっと大きく言えば、生きていることそのものが、私の出す音であるということ。
いま経験していること、考えていることが音になるって、なんだか凄いですよね。


お稽古していても、技術云々でなく、心を打つ演奏をなさる方がいらっしゃいます。
音色、間、そういうものがトータルで迫ってくる。これは勝てないなぁ、って思います。私よりずっと年上の方に、そう感じさせられることが多いです。私にはそういう演奏は出来ない、と感服します。

音楽は人間と切り離せないので、こういう現象はやはり、音楽以外の場面でも同じようにあらわれるな、と思います。素の自分とか。
経験したこと、考えていることが、振る舞いになって表へ出てくる。話し方、声、仕草などなど。
40歳になったら自分の顔に責任を持て、と言われたりしますが。40歳くらいになって、もうストップしている人と、まだまだ進化している人と……それだけで、その人の纏う空気というか雰囲気の違いが出てきているような。
それまでの人生に自信を持つことは大切ですが、何でも分かったようになって「これはこう」「これは違う」と簡単に決めてしまえるようになると、進化はもう無いのではないでしょうか……って、もう「完成」って思っても良いような歳ではありますけど……。


音楽をやっていて、もっと巧くなりたい、と思う気持ちを常に持ったほうが良いというのは、当たり前のこと。
ならば、大人になっても、自分をもっと向上させたい、と思う気持ちを持つことも必要なのではないかと。
日常を素敵に彩れるかどうかは、結局その人の奏でる音の違いなんだなと……自分が奏でている音に、ふと別の人が共鳴する。全く惹かれない音がある一方、どうしても重ねたくなる音がある。

誰かが演奏しているとき、ふとそれを聴いて、合奏したくなって楽器を持って加わる。今日まさに、私は学校でそれをやってきました(笑)。生徒がピアノを弾いていたので、フルートで加わってみた。まさか先生が入ってくるとは思わなかったので、生徒はびっくりして「どこ弾いてるか分からなくなっちゃいました(^^;」と言ってたけど、サポートしつつ演奏したら、メロディを弾きはじめました。生徒がメロディの時は私はハモりで。彼女が楽譜を見失ったら私がメロディで。そうやって、最後までたどりつきました。

はじめに演奏していた生徒は、私のフルートを期待していたわけではない。しかし、私はその子のピアノに誘われて演奏をはじめた。その子は、私の「フルートを吹きたい」気持ちを、私から引き出したわけです。そのように意図しなくても、結果、そうなった。
音が重なってきても気にせずに自分なりに演奏し続ける人も居るでしょうけど、その生徒は私のフルートの音に反応してくれた。重ねたくなる音、重なって共鳴する音同士は、何かどこかに共通するものがあるのでしょう。


生きていくって、なんかそういうことなのかなぁと感じた瞬間でした。
私も誰かの歌を自然に引き出すような、そんなふうになりたいなぁと思いました。

| 徒然 | 17:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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忙しさ

スケジュール管理をしっかりしないといけない程度には、毎週しっかりと予定が入ってます。
一日のうちに数ヶ所へ移動して教えたり演奏したり、そういう生活が基本なのですが、日によって内容が違うのでややこしい。
でも、「忙しい」とは思わないんですよ。これが普通とも思いませんが。何て言えばいいのか、まぁとにかく私の仕事はそういうものだと思っています。ちゃんと暇な時間もありますし、やりくりすればまとまった時間も取れますから。

そんな音楽家兼講師のバッグは重たい。
これは殆どの同業者に当てはまるのではないでしょうか。
1冊の譜面が分厚い、多くの譜面を持ち歩く、そして、数ヶ所での仕事分の譜面を詰め込んでいるからです。
このバッグの重さはヤル気に比例してるのではないかと思います。

さきほど、これに当てはめてみると、私のバッグの重さは、どうもこのごろムラがあるということに気付きました。
比例して、思考にもムラがある。


思考がすぐ暗いほうへ行くのは、考え方の癖だそうです。どうしても鬱々してしまう症状はホルモン分泌等の異常であり、本来は内科の分野であると言います。
私の場合はそこまでではないので、元気が無いときは単に自分に自信がなくネガティブになってるだけ。
普段から、自信なんてあるわけないから頑張ってるわけですから、たまにエネルギーも切れたりします。冷蔵庫がいつも明るいわけではないのと同様。
当然、誰に頼れるわけでもありませんから、自力で何とかします。
頑張りが思考を引き摺るくらいまで、気合いを入れます。

反動でどこかに無理が来ても、その気持ちを練習にぶつけるくらいのことはします。音楽家ですから。コンサートにはぶつけません、私の思いをお客様への演奏に乗せるのは失礼だと思いますので。
以前読んだ漫画に、こんなセリフがありました。

「後悔は、死ぬときまとめてする。」

私もそうなりたいものです。強がっていても、続けるうちにそれが自分のものになると信じています。
理解してくれたり励ましたりしてくれる人が居るとは思えないし……お陰でずいぶん歯を食いしばって頑張れたこともあったから、何かを引き換えに何かを得る、という等価交換の法則からすれば、至極当然の取引だなぁと感心しています。


皆さんの場合、親御さんなど頼れる方が居る場合は、ただ一緒に居てもらうだけでも良いので、そうすることをお勧めします。自分で自分の傷を舐めても、身体の中に血が溜まっていくだけ。限界は来ます。

この時期、環境が変わって悩む人も居れば、変わらないことにイラついて悩む人も居ます。
そういうとき、周りが元気だと、余計に落ち込みます。また、天気が良いことも心いは良くないそうです。
みんなが元気なのに、自分は元気ではない。みんなが外へ出掛けていくのに、自分は出られない。そう感じてしまうのだそうです。
そうやって負のスパイラルに陥るのが、いわゆる「五月病」というものです。
だから、具合が悪くなって当たりまえなんです。どうか、必要以上に悩まないでください。

ため息ついた分だけ幸せが逃げる、なんてそんなことないです。大きなため息をひとつつくたびに、嫌なことを少しずつ出してしまえばいいんです。


社会人なら、スケジュールを詰め込んで、忙しくしてしまうのもアリかと。
暇になると、悲観してしまうから。
忙しくて忙しくて、疲れて眠ってしまって、翌日また忙しさに振り回される。いつか梅雨が来て、空があなたの代わりに泣いてくれるから、慰められるでしょう。

「健全な魂は、健全な肉体に宿る」。
この言葉の真意は、ラストに「と良いなぁ」を付けること。身体が元気だからと言って、魂まで健康とは限らないのです。だけど、身体に引き摺られる魂もある。じっとしているよりは、動いたほうが気持ちは楽になるようです。



という、たまにはネガティブなお話でした。

| 徒然 | 00:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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猿倉岳 雪上トレッキング

猿倉岳 天空のブナ林 雪上トレッキング」(5/17リンク更新しました)に参加してきました!
私の辞書に「運動」という語彙は入ってないのですが……ましてや「トレッキング」。驚く方も多いのではと思います。私がいちばん驚いてるんですもん(笑)。
勤務先の中学校で教頭先生とお話をしていたら、思わず「参加します」とか言っちゃってました。たはは……(笑)。
「びりっけつになるから、誰か一緒に歩いて欲しいんだけど!」
と言われたら、
「お供します!」
と返すしか無いでしょ!(笑)。でも私もそんなに歩けるとは思えないので、そう言って頂けて参加しやすくなりました。

登山に関しては、小学校時代に妙高、立山に行っている娘たちのほうが先輩ですので、装備品を借りました。特に靴は、もう娘たちは足が育ってしまって入りませんので、完全に私のものになりました。

さて当日……心配していた雨も……雨も……
……朝から小雨が降ったりやんだりでした。とりあえず「決行」の連絡を頂いて、集合場所へ(^^;
その後相変わらずパラパラと降ったりすることもありましたが、最後まで何とかもちました。良かった。

20130511 スタート時はこんな感じの景色。

20130511-2 カタクリがたくさん咲いていました。

20130511-3 「雪上トレッキング」というだけあって、途中からこんな感じに。

雪上での教頭先生のラブリーなお写真もあるのですが、こんなところで流通させるわけにはいかないので、秘蔵。プリントして次の勤務の日に先生にコッソリ差し上げようと思います。

この雪の上を登っていく感じ……どこかで体験したなと思ったら。鳥取砂丘だ!!
ちょっとしんどかった。くじけるかと思った(実際、心折れまくってました)。
途中、「ここで待ってても登ってもいい」というポイントがあって、「もういいかな」と思ったのですが、教頭先生がせっかくだから行くと仰るので、ついて行きました。直後に後悔(笑)。ずっと雪なんだもん……。でもついて行って良かったです。俺やれば出来るやん! 的な。

20130511-5 そして標高679mへ。標識埋まっとるがな。

20130511-4 頑張ったご褒美が、この景色なわけですよ。ちょっと下ったところの写真ですが。

20130511-6 出た、笛!

やっぱり吹かないと始まらないでしょう!
というわけなんですが、私が所有するいちばん短い笛でもバッグに収まりませんでしたので。今回は、楽遂さんから頂いたミニの笛を持参しました(ありがとうございます!)。非売品だそうです(頂いた当時)。
あまり大きな音で吹くのもご迷惑かと遠慮して吹いたら、ヘタクソでした!
でもまぁ、既成事実を。何の。

生徒から
「先生、楽器を持っていない時って無いんじゃないですか?」
と言われました。音楽家として最高の褒め言葉ですね!?


下りも教頭先生とご一緒させて頂きました。
途中でこごみ(こごめ。クサソテツ)がたくさんあり、伸びすぎててダメかと思いきや、良いのも生えていて。摘んできました。ふと振り向くと、教頭先生の袋がいっぱいになってました。さすが先生、口も手も早い(※褒めてます)。
「あとで分けたげるね~♪」
とのことで、ごっそり分けて頂きました。ありがとうございます♪ 娘がこれ大好きなので喜びます♪
つくしは今年採ってなかったので、せっかくだからちょっとだけ摘んでみました。新潟の方は食べないのかな?

20130511-7

このあと、K先生に「ここにワラビもありますよ」と教えていただいたのだけど、ワラビはアク抜きに自信が無かったので、採りませんでした。もったいなかった~自分のスキルの無さが恨めしかった(T T)

トレッキングのあとは山菜尽くしのお食事♪
おそばは地元のソバを手打ちしたもの。写真を撮ったあと、ゴマ和えとお漬物がやってきました。
とても美味しかったです。豪華なお食事も嬉しいですが、こういう地採れのものをすぐに調理して頂けることが贅沢だなと思い始めた今日この頃。
食べながらS先生が「トレッキングを楽しむために山菜の勉強したいな」と仰ってました。じゃ私は来年のためにワラビのアク抜きを勉強しておこうと思いました(笑)。

201305110-8

中学生はさすがによく食べますねぇ……豚汁、3杯目行ってたのを目撃しました。おにぎりにお蕎麦に具沢山の豚汁に、けっこうな量でしたが、まだおにぎり食べてましたからねぇ。成長が楽しみです。
えー、ちなみに、大皿に残ってた胡麻和えなどは、お持ち帰りさせて頂きました! 「残ったら捨てる」と仰ってたので! 


食事のあとは温泉もセットだったのですが、私は午後からレッスンがあったので、ここで失礼させて頂きました。
初トレッキング、とても楽しく参加させていただけて感謝♪ 無事歩けてほっとしました(^^;
皆様ありがとうございました。
さて、次は秋だな!(行くのか)

| 徒然 | 13:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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昨日の練習場所

午後からの中学校勤務後に田楽笛を練習した場所。
だだっ広い……
向こうに見えるのは佐渡だそうです。

20130509

日が暮れてくると、あまりに誰も居ないので、ちょっと怖くなってきました(^^;
人が居なさすぎる場所も問題ありますね。新潟の海なんてリアルに危ない。もうここは一人で来るの、やめます(笑)

ドライブと笛のセット、ちょっとハマってきてます。もう趣味にしてしまえばいいのじゃないかしら……誰かが来たらチラシ撒くとか(笑)。

| 徒然 | 07:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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もうちょっとだけ

新潟県長岡市……合併で広くなって、気候も様々なのですが。
まだところどころに春の息吹を見ることができます。

画像左、週1~2でお邪魔している中学校の周辺で、つくしを発見。
画像右、八重桜(ぼたん桜。詳細な種類は知りません)はまだ見頃です。

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関西に居る頃はソメイヨシノばっかり目にしてたんですが、新潟ってこういうボリューミーな桜(笑)が多いような気がします。神社や民家にあって、なかなか新鮮。

この地にもう15年ほど住んでるのに、どんだけ見てなかったんだよ、って話ですけど(笑)。

| 徒然 | 07:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「長岡 音・おと・オトの街 公演」

20130506-3

本日の公演は、この着物チョイスで。


ゴールデンウィーク最終日、「長岡 音・おと・オトの街 公演」で演奏してきました。
12:00から、アトリウム長岡。
13:00から、かんばらピアノクリニック。
17:00から、朝日酒造エントランスホール。

各30分の演奏でしたが、それぞれに特色ある会場でしたので、同じ曲を演奏しても趣きが違い、演奏していて楽しかったです。響かせ方ももちろんですが、残響によって音ひとつの長さが違うイメージで……独奏の醍醐味、というところでしょうか。
聴きに来てくださった皆様、ありがとうございました。


20130506
かんばらピアノクリニックにて。
途中から風が強くなってきて、楽譜をお弟子さんが押さえに来てくださるハプニングが(笑)。
私も突風に背中を押され、演奏中に一歩よろめいてしまいました……着物は風をはらみやすいです。


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朝日酒造エントランスホールにて。
残響が素晴らしく、篠笛にとても合っていたように思いました。いつもより尺をたっぷりと取って演奏させて頂きました。


小さい写真はクリックで拡大されます。
本当は撮影や録音NGの会場なのですが、演奏中はさすがに自分で撮影できませんので、お弟子さん方のご好意に甘えました。2会場はしご、ありがとうございました!

一般のお客様の中にも、はじめの公演を聴いて、更にラスト公演にも駆けつけてくださった方がいらっしゃいました。とても嬉しかったです!
「3回公演」ではありましたが、お客様の層を見てからプログラムを即興で組み立てて演奏しましたので、3公演とも別プログラムでした。せっかく来てくださったので、なるべく違う曲を聴いて頂きたいですからね^^


朝に着物を着はじめてから、19時すぎに家に帰るまで、昼食のお弁当を頂いてるとき以外は休めてなかったのですが……来て良かった、という声を頂けて、疲れも吹っ飛びました。
これからも頑張りますので、どうぞよろしくお願い致します。御縁がありましたら、またお会いしたいです♪

| ♪楽器・演奏・教室 | 22:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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6日;長岡市内で篠笛演奏

6日に三回公演します。
今年は午前中の会に「蘭」も予定しています。午後は「万灯火」を。共に、鯉沼宏行先生の曲。
全会場では、昨年鼓童の山口幹文さんと公演したときに二重奏させて頂いた、「貝殻節」。他に、「こきりこ節」などを予定しています。
少しですが田楽笛も演奏します。


「長岡 音・おと・オトの街 公演」

12:00~12:30 アトリウム長岡
13:00~13:30 カンバラピアノクリニック
17:00~17:30 朝日酒造エントランス


■市内各会場で複数の演奏会、共通チケット1000円(当日1500円)で観放題。リリックホールでチケット購入できるそうです、各会場でも可能なんじゃないかな、と思います。
本日買えば500円オトクです、でも1500円でもじゅうぶんオトクなのでは、と思います。まさにゴールデンウィーク価格!


お時間ありましたら、ぜひお越しください。全く宣伝してないので集客不安……ご来場くださったあなたのために吹きます!(何それ)
宜しくお願いします(*^^*)

なお、アトリウムのあとはわりと急ぎで次の会場へ行きますので、お話、握手、記念撮影? ご希望の場合は、お時間ありましたらぜひ次の会場へもいらしてください♪ いや、握手と写真は一瞬でできるか……(^^;
ファンクラブ通信(?)を持っていきますので、ご興味ありましたら持って行って下さると嬉しいです。

| ♪楽器・演奏・教室 | 10:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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マルチタスク

火曜日からこっち出勤していないので、曜日感覚が無くなってきました。今日は金曜日だったらしい……

6日のコンサートのために、会場の場所確認をしてきました。
特に1コマ目と2コマ目の間が厳しくて、猶予は30分。
この間に移動しないといけないので、当日迷ってる場合じゃないのです。

移動だけならともかく。
演奏が終わったら、多少はお客さまとお話します。
それから移動して……水分補給は移動しながらするとして。
次の会場に着いたら、心を落ち着けるなり、切り替えるなり、しないと。
きっと1回目が終わったら、譜面の並びがぐちゃぐちゃになってるし、笛もごちゃごちゃになってるし……大丈夫だとは思うんだけど、ドキドキしますね。
オリエーテーリングみたいで楽しいですけどね^^


そこへ出掛けたほかは、今日はほぼ一日、PCの前に座っていました。
音楽を流しながら、ミシンを♪
って、コンサートの練習ちゃうんかーーーーい!

頭の中は笛の曲。
耳からはラルク。
手はミシン、合間にふと、笛を吹いてみたり。twitter開いてみたり。
「スーパーマルチタスク」と言えば聞こえは良いですが、単に落ち着きが無いのです。
昔からなんだよねぇ……

中学生の時は、TV観ながらマンガ読みながら学校の宿題をしていました。
TVは塾から禁止されていましたが、観てましたw
塾の宿題は、夜中に音楽聴きながら。特に数学の新しいパターンの問題をやってるときは、音楽が無いと出来なかった。他のことを考えてしまうので、音楽で思考の回路をひとつ、塞ぐんです。そうするとやっと集中できる。数問証明し終わって、ふと時計を見たら1~2時間経ってたこともありました。有名難関高のいじわる問題を解いてたんですけど、そもそも男子校だから受験資格が無かった(笑)


この集中力の無さ、演奏の仕事をはじめてから、「このためだったのか!」と役立て方が分かりました。
お客さんの様子を観察しながら、次のMCを考えながら、曲のことを考えて演奏する。
難しい曲をしているときは、全力で曲に向かう。でも、自分の曲の流れ、伴奏の音に合わせる意識は別に働かせています。「聴覚+意識」が二組以上あるから助かってます。
最近は意識の振り分けが違うところへ向かっているのか、ひとつひとつが注意深くなったのか……大きめの曲を演奏しているときは、目に景色が映って知覚はしているんだけど、カメラで録画しているだけな状態になっています。それについて、リアルタイムでは知覚してないことに気付きました。あとで思い出す。
(昨年度末の某学校での卒業式……指揮させて頂いたけど、まさにその状態でした。自分の描く地図をまず頭に広げ、それを指示するためのアクションを考えて出し、帰ってくる歌声を聴いて必要なら新たなアクションを出す。ある意味、すごく集中できてたのですが、誰がどこに居てどんな顔してたかとか録画状態でしか覚えてないから、向き合ってた感じのしないことしないこと^^; だけどアイコンタクトもちゃんとしてた、っていう不思議な感じでした。)



私のテーマ(?)のひとつに、「身体を知覚する」というのがあります。
身体の筋肉ひとつひとつ、自由にしたい。出来れば細胞のひとつひとつまで、意識を宿らせて動かしてみたいくらい。
フルートを演奏するとき、口腔、喉、横隔膜のあたり、首や腕のそれぞれの筋肉等、これらの使い方を組み合わせて、いろんな音を出します。ここをこのようにすると、このような音になる、ということを、ひとつひとつ把握していると容易になります。
なので、私は生徒さんたちの音を真似るのが特技です。

それでもまだ、完全に理解できていない現象がある。それを探しているところなのですが……こういうのは、ずっと考えているよりも、付箋を貼り付けるように意識の上に浮かべておくと、何かにふと引っ掛かって、気付くことが多いです。
そんな時、マルチタスクでよかった、って思ったりします(笑)。


以上、集中力の無い言い訳でした!
止まるときも勿論ありますけどね(笑)

| 徒然 | 00:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ふらりと

午前中、笛を持ってドライブしてみました。
海辺へ行きたかったのですが、ふと思い付いて、少し走ったところの河川敷へ。
ちょうどこの記事↓の、2枚目の写真の場所です。
「さくら」(http://takagakki.blog16.fc2.com/blog-entry-782.html)

蘭情さんに頂いた、篠笛ベースの田楽笛を、歩きながら吹いてみました。

20130502

見事に誰も居ません!
それもその筈……今日は平日な上、寒かった!!

20130502-2

桜もほとんど散ってしまっていて。でもたまに一枚二枚、強風に煽られた花びらが頬を撫でていったりして。
名残り雪ならぬ、名残り桜? 今年の桜は、何だか愛おしい。
桜の葉が萌え出る生命力とか……そういうものも一緒に感じられるような気がしました。

この写真の左奥に、赤い橋があるのですが。
川の水を引き込んで、ちょっとした池のように造ってあるのです。なかなか素敵な場所なので、ここで吹こう! と思ったけど寒くなりすぎて断念(笑)。
しかも、電池切れで写真も撮れず。本当に残念。


明日からは、ゴールデンウィークも後半に突入ですね。
しばらくは、ここでは吹けないだろうなぁ、ひとが居て。 ※小心者です


6日は、「長岡 音・おと・オトの街」というイベントで、篠笛を吹きます。
12:00~12:30 アトリウム長岡
13:00~13:30 カンバラピアノクリニック
17:00~17:30 朝日酒造エントランス

他にいろんなコンサートも催されています、共通チケット1000円(当日1500円、プログラム兼用)の購入でどの会場にも入れるシステムです。
リリックホールにも置いてあるようです、各会場へお問い合わせになっても良いと思います。
お時間ありましたら、ぜひお越しください♪

| 徒然 | 22:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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通奏低音

6日のコンサートまで、あと僅かな日数となりました。
お話を頂いたのが3月末でしたから、レパートリーの中から勝負するしか無かったのですが、何とか一曲作り上げることが出来ました。

だけど全部覚えられないや……(^^;
1曲だけでも、気合入れて覚えるかな? とは思っています。

予定としては、アトリウム長岡、カンバラピアノクリニックの各1回公演は、「こきりこ節」など手拍子等で参加して頂けるようなのをメインで。
朝日酒造エントランスは、何だか響きすぎると伺ってるので、いつものではありますが、「万灯火」を試してみたいなと思っています。
この日の出演では、どの会場でも田楽笛も吹きたいと思っていますのでお楽しみに♪

なお、会場の客入りによってその場で予定変更等しますのでご了承ください。


明日は、また何故か愛車に不具合が出たので(汗)、朝イチから代車と交換してきます。
すぐ直るようだったら、修理上がりを待って。そのままどこかへ走り去ってみたいと思います。
笛を持ってね。


さて、タイトル「通奏低音」。
簡単な意味としては、バロック時代の曲でずっと流れている低音のメロディ、というところでしょうか。実際は、その音に付いている数字と記号に従って即興的に和声を補足しながら演奏していくことになるのですが。
文学的な比喩として使うなら、何かの思考がずっと頭の中で鳴り響いている状態を指すとでも言いましょうか。

同じ景色でも、違って見えることってありますよね。それは、自分の心境が変わったときかもしれません。
今まで気にも留めなかったものが、急に素敵に思えるようになったり。聞き流していた曲に魅力を感じたり。
新しい発見をしながらも、ひとつひとつ深く考えずに流してきて、いまふと立ち止まってみたら、「ここは何処だ」と。
体調の変容、環境の変化、勉強を進めてきたことによる気付き……何が原因か、それとも全部が合わさって化学変化したのか分かりませんが、ある日はっと気付くような衝撃的なものでなく、振り返れば変化していた。思えば、ずっと通奏低音が流れていたような、そんな日々を過ごしてきたような。

気付いたら、音楽が面白くなってきていました。義務感でなく、演奏したい。以前と違うスタイルで表現したい。
篠笛で、また、あと4日間の練習で、それをどこまで表すことが出来るかわかりませんし、ふとまた違う心境になるかもしれないけど、成果を抜きにして練習してみたい。

そんな気にも……なるのかなるのかなるのかーーーー! by 小沢健二

そういうわけで、心の声に従って、笛を持って出掛けて、どこかで吹いてこようと思います。
「何かを作り出すこと、音楽を紡ぐことが出来るのは羨ましい」と言われた意味を、私自身が分かっていませんので、何が出来るかではなく、自分が何かした結果どうなるのか、見てみたいと思います。
……なんか良く分からん決意だね(笑)。まぁ、そういう漠然とした感じで、言葉を口にしないで、代わりに頭と手で紡いで、感覚を整理しています。言葉を外に出すときは音楽にして発することが出来れば、いいのかなって。
ちょっとしばらく、浮世離れしてみます……あ、いつもどおりなのか(笑)。

| 徒然 | 23:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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