2011年も3日になりました。皆様如何お過ごしでしょうか。
我が家は初詣に2回行きました。日付変わってすぐに近所の神社へ歩いて行ったのと、昨日ドライブがてら国上寺へ行ったのと。
実は初詣に回数制限って無いらしんです。初めて行くのが初詣かと思ったら、3が日のうちに行くのは初詣とか、1月中に行けばよいとか、特に決まってないらしく。数箇所行けばいろんなご利益が、みたいな説もあり、実にいい加減。実に面白い。
近所の神社はいつもの通り。お神酒とお菓子を頂いて帰りました。飲んだり食べたりすることで、無病息災効果があるらしいです。
国上寺のほうは、受験の合格祈願で行ってきました。いまいちばん多い事例は水子供養みたいなんだけど、一応良寛さんゆかりと聞いたので、国語の成績くらい上がるだろうと思って(ぉぃぉぃ)。
しかし、「どんだけ人おらへんねん!」っていうくらい、寂れたとこでした(笑) 大きな神社で初詣と言ったら、夜中に出発して明け方帰宅できるくらい凄いとこばっかり行ってたので(生田さんとか鹿島さんとか)、寂れたとこは逆に大好きだから良かったけど。
しかし、ものすごいパワースポットであることには間違いないです。次女は酔いました(^^;
さて、国上山は飛鳥時代から名所であったと言われてます。
聖徳太子がこの山に登って雲上記を書いたそうな。その際に大悲千手観音の像を彫り、この像が雲上、雲高にあることから「くがみ」となったという。現在「国上」と書くのは、孝謙天皇が御宇にて「国中上一寺」と詔勅されたことが由来(万葉集では「久賀躬」)。
1300年ほど存在する……というと、平城京やら長岡の金峯神社とか……なんか最近1300年に縁がありますなぁ。
御本尊は阿弥陀如来。縁起等によれば、「行基菩薩の御作婆羅門僧正の御開眼にして、聖武天皇の御后光明皇后により賜った霊仏である」と伝えられています。子年に開帳されるらしいので、いちど行ってこなければ、と思いました。
最澄の弟子である慈覚大師が、僧兵を作っていったとか、面白い話もあります。
平安末期には、源義経が平泉に逃れる途中に国上寺本堂に隠れ、去るときに自作の大黒天木像を奉納していったとか。大黒天が背負っている福袋の背後には「治承 庚子年 正月朔日 源義経 華押」と刻まれてるらしいんだけど……これは子年の開帳の時に見られるんやろか?
一応、六角堂に大黒様は鎮座してたけど、あれが本物ってことは無いと思うねんな……意外と無造作に本物が置いてある雰囲気ではあるので、分からんとこが怖い(^^;
戦国時代には上杉謙信が七堂伽藍を建立。
当時、国上山山中に二十一ケ寺、県内外を含め百三十有余ケ寺の末寺を有し、常時千人以上の修行僧を置き御祈祷所として隆盛を極めていたそうな。
また、この戦国時代には、何度か焼き討ちにあっています。吉野の出身である万元和尚が荒れた境内を見かね、五合庵に住みながら托鉢してまわり、現在の本堂を再建されたとか。しかし、新潟へ托鉢に向かう途中に病を得て、本堂の完成を見ることなく亡くなったようです。
その後、江戸時代に入ってから良寛和尚が住むようになり、有名になりました。
帰りに、「五鈷掛けの松」の前で記念撮影。

弘法大師が中国から帰国の徒中、金剛密教修法に用いる三鈷、五鈷を投じたところ、三鈷が高野山に五鈷が国上山のこの松にかかった、という伝説の松です。
ちょうどTVで、たけしが熊野詣でする番組をするというので、実にタイムリーでした。