演奏するということ
生徒さんそれぞれに課題があり、曲を練習する中でその課題を克服しようと頑張っておられることと思います。
毎年のことですが、発表会を経ると、皆さんぐーんと上手になるんですよね。数回出演されている方は、実感として持っている感覚ではないでしょうか。
普段より練習時間が多め、ということもあるかもしれませんが(笑)、それだけじゃないんです。
1つの曲に向かって取り組むこと。
やはり、これは大きいです。
いつもなら流してしまうような小さいことも、些細な節回しも、ひと前で演奏するということでしっかり考えて吹くようになる。
すごく大事なことです!
今日、長女の中学校吹奏楽部の演奏を聴きました。先日の大会での演奏を、CDで。
私が春に聴いたときより、上手になっていました。
でも、私が思っていた根本的な問題が克服できていない。
指が回るとか、テンポとかテクニックとかの問題じゃないんです。まぁ正直に言えばこれもスケール練習、ロングトーンが足りてないように聞こえるけど……
とにかく残念に思ったのは、指導の先生の意図はすごく感じるのに、それをほとんどの生徒が汲み取れていないこと。
それから、頭を使って練習できていないこと……特にイメージができてない。イメージというのは、「夢のような」とか漠然としたものもあるけど、ひとつの音に対して、どういうスピードで、どういう透明度で、どれくらいシャープあるいはまろやかか、などなど。
スネアドラムの音が矢のように突き刺さっていくのに対して、バンド全体が「え~い」と適当に石を投げているくらいのスピードだったり……
その共有されなさは、アインザッツにも現れていて。いろんな箇所で、入りがバラバラ。
フレージングが民謡調。分からなかったらコピー譜を私のところに持ってきて! って思う。
しかし、これらがきちんとイメージできれば、次の一回目の合奏から、音が変わるんです。
二回目からはもっと深い練習ができる。
練習は、ただ音を出すだけが練習じゃない。。。
こう言えば誤解する人が居て、「じゃあ練習しなくていいんだ」って言うんだけど……ある程度演奏できる人たちにとって、イメージ無き練習は時間の無駄、ということです。
あの春の段階からここまで創り上げてくださった顧問の先生の言うことを、これからもっときちんと考えて漏らさず実行していけば、ここまでの御礼として、先生に東日本の切符をプレゼントすることも出来るんですよ。将来、自分達にとっても凄い思い出になります。
今頑張る瞬発力も持たないで、受験なんて頑張れない。銀賞・銅賞をもらって「ここまでこれてよかった」と思うのは、悔しさが足りない。イコール、頑張りと気迫が足りない。
(数人の姿勢は凄く認めてるんですよ。音の見た目が違うからすぐ分かる。)
ただ音を出して楽しい~というのが許されるのは、個人までです。
団体でコンクールに出るなら、ただ音を出している人が居るだけで、演奏が濁る。
音楽的なレベルでなく、気持ちひとつで変わるのだから、誰にでも出来る。真摯さの問題です。
端から東日本まで行く気が無いのなら、夏休みの練習時間は勉強に充てたらよかったんだから。その時間を無駄にしないために、今から頑張って欲しい!
……とまぁ、私が教員してた頃の生徒になら、これをもっときつい言葉で言っていましたが(笑)
今の私は教室の生徒さんのことで頭がいっぱいです。どうやったらもっと楽にいい音になるか、日々考えています。
| 徒然 | 23:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑