【音楽教室ファイル1】へんな編曲
音楽の秋、ということで、学校でも街でも、音楽発表をする機会が増えてきました。
私の教室の発表会は、新型コロナ感染者数がマシであろう時期に分散開催しましたが、生徒さんが独自に参加されるイベントはあります。
そんな頃によくあるのが、「『既存の曲の編曲』問題」。
作曲家は言います。
「曲が私の手を離れたら、曲は演奏者のもの。」
私の篠笛の師である鯉沼先生も仰っています。
お稽古で先生の曲を演奏させていただくとき、先生のCDどおりに譜面を変えたりして吹きますが、テンポや音の伸ばし方などは、私独自のものになります。その時に「(解釈は)間違っていません」と言われます。
「解釈」なのです。
作曲を学ばれた方が作るものを解釈する知識が、演奏者側にあることが前提。
それを得るために先生について勉強するので、多くのプロ奏者は大幅に間違えずに演奏できる。お互いに暗号を知っているから解読できる、というわけです。
指定のないところは解釈に幅が出る。そこが奏者の腕の見せ所となります。
ここで大幅に間違うと、「センスが無い」とされるのだけれど(笑)。
一般の方が曲を演奏するのを聴くと、知識が足りないと感じます。
「好きに演奏すれば良い」という話もありますが、作曲家の意図するものと大幅に違う時、「あなたは、作曲家への敬意はありますか?」と問いたくなる。
曲が長いから短くしたい、ということでカットして演奏したいこともあります。そういう時、「むかしむかるところにでした」となっているものに遭遇します。
作曲法に則らずに感性で作られた曲も増えてきました。
この場合は特にルールが無く、感情も人によって違うため、人によって解釈が違ってしまいます。「作曲家の手を離れた曲は演奏者のもの」とは言えません。
作曲者に共感することが大事になるでしょうね。その方の他の曲を聴く、普段の声を聴くなど。
たいへん申し訳ないながらも、私はこの手の曲は「さっと」演奏するのは楽しいですが一度で飽きてしまって、自分では何度も吹きたいとは思わない。レッスンするまでもないと感じます。教えること(これからの糧になること)がほぼない。歌謡曲の多くはそうです。楽しむための曲。たまには良いのですが。
だけど、それでもストーリーはあって、勝手に個人で編曲するとおかしなことになるわけです。
楽しいことは大事ですが、「作曲者への敬意」を持ってほしいなと思います。
少なくとも言葉が繋がるようにするためには、勉強したり、感性を磨くことです。
そして先生なり上級者に、いちど聴いてもらう。
どこかで発表したときに、それを聴いている人の何人かはあなたより上級者だから。
特に、音大生は大学でひとつでも多く勉強してきて欲しい。卒業後に街に自分の音楽を蒔いて行くわけだから。
優れた作曲家の作る音楽は、説明の付かない音が「ひとつもない」。自分が演奏する曲で、任意に取り出した「ひとつの音」の説明がつかない、なんてことにならないようにしましょう(説得力のある音楽、という言葉があります)。
※特定の個人や団体へのお小言ではありません。このようなことがちょいちょい起こりますよ、というお話です。悪しからず。
私の教室の発表会は、新型コロナ感染者数がマシであろう時期に分散開催しましたが、生徒さんが独自に参加されるイベントはあります。
そんな頃によくあるのが、「『既存の曲の編曲』問題」。
作曲家は言います。
「曲が私の手を離れたら、曲は演奏者のもの。」
私の篠笛の師である鯉沼先生も仰っています。
お稽古で先生の曲を演奏させていただくとき、先生のCDどおりに譜面を変えたりして吹きますが、テンポや音の伸ばし方などは、私独自のものになります。その時に「(解釈は)間違っていません」と言われます。
「解釈」なのです。
作曲を学ばれた方が作るものを解釈する知識が、演奏者側にあることが前提。
それを得るために先生について勉強するので、多くのプロ奏者は大幅に間違えずに演奏できる。お互いに暗号を知っているから解読できる、というわけです。
指定のないところは解釈に幅が出る。そこが奏者の腕の見せ所となります。
ここで大幅に間違うと、「センスが無い」とされるのだけれど(笑)。
一般の方が曲を演奏するのを聴くと、知識が足りないと感じます。
「好きに演奏すれば良い」という話もありますが、作曲家の意図するものと大幅に違う時、「あなたは、作曲家への敬意はありますか?」と問いたくなる。
曲が長いから短くしたい、ということでカットして演奏したいこともあります。そういう時、「むかしむかるところにでした」となっているものに遭遇します。
作曲法に則らずに感性で作られた曲も増えてきました。
この場合は特にルールが無く、感情も人によって違うため、人によって解釈が違ってしまいます。「作曲家の手を離れた曲は演奏者のもの」とは言えません。
作曲者に共感することが大事になるでしょうね。その方の他の曲を聴く、普段の声を聴くなど。
たいへん申し訳ないながらも、私はこの手の曲は「さっと」演奏するのは楽しいですが一度で飽きてしまって、自分では何度も吹きたいとは思わない。レッスンするまでもないと感じます。教えること(これからの糧になること)がほぼない。歌謡曲の多くはそうです。楽しむための曲。たまには良いのですが。
だけど、それでもストーリーはあって、勝手に個人で編曲するとおかしなことになるわけです。
楽しいことは大事ですが、「作曲者への敬意」を持ってほしいなと思います。
少なくとも言葉が繋がるようにするためには、勉強したり、感性を磨くことです。
そして先生なり上級者に、いちど聴いてもらう。
どこかで発表したときに、それを聴いている人の何人かはあなたより上級者だから。
特に、音大生は大学でひとつでも多く勉強してきて欲しい。卒業後に街に自分の音楽を蒔いて行くわけだから。
優れた作曲家の作る音楽は、説明の付かない音が「ひとつもない」。自分が演奏する曲で、任意に取り出した「ひとつの音」の説明がつかない、なんてことにならないようにしましょう(説得力のある音楽、という言葉があります)。
※特定の個人や団体へのお小言ではありません。このようなことがちょいちょい起こりますよ、というお話です。悪しからず。
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