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多事奏論

姫路出身、長岡在住のフルート・篠笛奏者によるblog。フルート・篠笛教室もやってます。お気軽にお問い合わせください。ブログ内の画像はクリックすると拡大版が見られます♪

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笛を選ぶ

発表会前にやること。
笛を選ぶこと。二択までは簡単に絞れますが、問題はここから。

20210408

上、蘭照さんの古典調六笨調子。漆仕上げ。
下、朗童さんの古典調六笨調子。燻し竹。

究極すぎる。
音量や遠達性、音色はどちらも遜色ない。
ただ、その鳴り方が全然違う。

ヴィクトリアさんの推しは、蘭照さんの笛。倍音が豊かで柔らかく、音がとろけるようです。
まさにドルチェ。
フルートでは一緒に歌ってくれるけど、篠笛では歌ってくれないワンコさん。でも、いい感じの蘭照さんの笛だと、歌ってくれるのです。フルートより1オクターブ低く(笑)。

あ、倍音って、笛の音を機械で計る人とか居ると思うんですけど、あくまで目安です。吹き手が笛ごとの特性に合わせてそういう吹き方をしてこそなので、目安にもならないかもしれない。
例えばフルートだと、良い楽器であればあるほど、その性能いっぱいいっぱいで演奏できている人は少なかったりします。良い楽器であるが故に、多くの人は8割9割までで満足してしまう。普通に「良い楽器」として、高評価されています。
ところが、その先に領域展開すると、明らかに他とは違う異様な鳴りが含まれてきて、まさにその音が最大の特徴であり魅力なんですよ。
(ちゃんと鳴らせってことです)


私が使っているフルートはパウエル社のもので、しかも古いシステムのもの。
いちど、今よりラクによく鳴る最新のものにしようとしましたが、師匠が待ったを掛けてくれたので、やめました。
まさに上記の理由です。
よく鳴る、というのは、本当によく鳴っているか? 
鳴って聴こえるだけではないか?
例えばホールで吹いたら、理想的に響くか?
よく鳴ってるというその普段の状態から、さらに私と楽器の状態が良いとき、異様に鳴り響くことがある。それが新しい楽器に備わっているか?

楽器や学問としての研究の歴史が深い、フルートという楽器で言えば、こんな感じ。
そこで篠笛ですよ。
響きの気持ちよさをフルートで慣れているのだから、それとは違う響き方をする篠笛でないと、「やっぱりフルートがいいや」ってなってしまう。
そこへ持ってきて、蘭照さんの笛は遜色ない気がします(モノにもよる)。
和楽器の音の響き方をしながらも、西洋楽器特有の、空間を音で満たす感じもある。

一方、朗童さんの笛。
師匠が持っている先代さんのでなくて、二代目久保井朗童さんの笛だけれども。
高めの倍音が強い感じで、清々しい。矢のように遠くへ飛んで行きます。凛とした音。
写真のは燻しですが、私が持っているのでは古典の七笨調子が異次元です。場を充たしつつ、遠くへ行く。
この燻しも、「竹がいいのが無い、頼んでたところが作るのをやめたから他も試したけど、ダメだった。だから燻しはあるだけで終わり」というものでした。

方向が違うから選べない。演奏会だったら双方使う。
でも発表会は1曲なんだよねえ~。

これを書きながら、まさに考えています。

祭囃子だし、鯉沼先生のところだし?
皆さんが私に期待する音色は、朗童さんのほうなのかな?
とは言え、その時のコンディションにもよるので、2管持参します。ギリギリまで悩むんだろうな~。


なお、衣装については適当に用意します。洋服でもいいと思ってるくらいです……。
密を避けるため、控室に入場制限があるから、簡単なのにしたい~。

| 徒然 | 15:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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民謡の練習

皆さん、民謡、お好きですか!?
「ハイ」という人は少ないのではと思います……特にフルート関係でこのブログに来てくださっているかた。無理ですよね~~。私もそうでした!

バッハがスタートで音楽の世界に足を踏み入れた私は、その後、既知のベートーヴェンやチャイコフスキーに入っていくわけですが、ガチガチのクラシックの人だから、篠笛を習い始めたとき、教材に短い簡単な民謡がよく出てきて、「ダサい……」と思っていました。だから「無理、わからない」と思っている人の気持ちはすごく分かります。
現代日本人は、多くのかたが民謡とは無縁に育ちます。
最近は学校音楽で「日本の歌や楽器を取り上げる」ことになっていますので、いまの30歳代後半~50歳代が最も日本の歌に縁遠いかもしれませんね。今の20歳代半ばの人は、吹奏楽でジャポニズムが流行ったから、カッコよさはご存じだと思います。

閑話休題。
(このままいくと限りなく違う話題に拡がっていってしまうので)

さて、民謡。私はやってるうちに面白さに目覚めました。
私が感じている面白さは、端的に言えば、「重み」と「感情」です。
それはさておき、民謡をかじってみる上で、知っておいたほうがよいことがあります。成立した背景です。

学校での例になりますが、「ソーラン節」というと「ソーラン!ソーラン!」というリズミカルなものを思い浮かべる生徒がほとんどです。では、その元になっている歌はどんなの? ってところです。
例えば ♪ヤサエーエンヤー、のところ、エンヤーで魚(ニシン)がたっぷり入った重い網をみんなで一斉に引き上げる。腹に力を入れたいですので、歌いかた(演奏のしかた)が変わりますよね。

「刈干切唄」はどうでしょうか。
なぜゆったりとしているのでしょうか。広々として長閑な感じは、人によっては東北民謡だと思うかもしれません(宮崎民謡です)。
一言で説明すると、鎌でカヤを刈っている唄、です。
鎌で刈るのに、あんなにゆっくりになるかな? 
実はあの地方の鎌、柄が長いんです。長い鎌をブン、、と振って刈る。ゆっくりになりますよね~~。

こう背景を知ることで、演奏がぐっと良くなるし、重みがリアルに感じられ、面白くなります。何より、知らない地域の話、昔の文化などを知れて、ちょっとした知識・雑学が増えたようで嬉しい。


そんなこんなで今は民謡も聴ける(演奏する)私が、いろいろ聴いていましたらですね、朝鮮半島の「清声曲(チョンソンゴク)」が日本の民謡みたいで面白かったです。フレーズのお尻にコブシを回す感じ。そしてタンソ(という楽器)が、低い音の篠笛に似て聴こえると思いました。縦の笛だけど尺八感は薄いかも。
気になるかたはリンク先を見てみてください。動画も置いてあります。

アジアの楽器図鑑

こうやって、ひとつ知るとひとつ他に繋がっていく。
このバックグラウンドが自身の音楽力に影響を及ぼすのは言うまでもないです。

| 徒然 | 12:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「楽譜を読む」の誤解

時々耳にする話。
「楽譜どおり、p(ピアノ)もf(フォルテ)も表現したのに、録音を聴いたら良くなかった」

強弱が付けられて、指定通りに演奏できる技量があることは、まず素晴らしいことですよね。

一方、「専門に音楽を勉強している」という言葉は聞いたことがあるでしょうか?
「楽器を練習する」でなく「音楽を勉強する」。
音楽の勉強というのは想像がつかないかもしれません。
その内容のひとつで、見ればわかるものをひとつ示したいと思います。

この楽譜を見ながら、次の動画を冒頭だけ視聴してみてください。
(かの有名なJ.ゴールウェイ先生^^)

20210402



さて。この演奏は「楽譜どおり」でしょうか?
例えば音の長さ、どうでしょうか?
 :
 :
 :
 :
 :
答えは、「YES」です(まぁ多少のオリジナリティは入ります)。
別に名演奏家だからこうなる、というわけではないです。私が吹いてもこんな感じです(笑)。
楽譜には、「言わずもがな」なことは書いていません。

小説を朗読することを考えてみてください。声を小さく、ゆっくり、などという指定は書いてありませんが、プロの朗読家さんはその小説が最も活かされるよう、伝わるように読みます。機械の自動読み上げとは全く違うということは、誰にでも分かります。
なのになぜ、「楽譜を読む」ということになると、機械の自動演奏みたいになってしまう人が多いのでしょうか。

モーツァルトの譜面を見ると、プロへ渡した譜面と、愛好家から頼まれた譜面では、強弱を書いてある数が違ったりします。書かなくても勝手にフォルテになるところには、本来は書かなくていい。自然にフォルテになるけど、特別に音を小さくしてほしいところにだけピアノと書けばいいからです。

上の譜面での「音の長さ」で言えば、その時代のスタイルを知り、和音の機能を知るなど、知っていることが増えると、どこにフレーズの切れ目があるかが見えてきます。メトロノームをカチカチ言わせっぱなし、それに合わせっぱなしの演奏にはならないのです。

「楽譜を読む」というのは、こういうことで、「楽譜をどれだけ読み込めるか」は、このように勉強の積み重ねが反映されるものです。
まぁ、歌謡曲などはずっとメトロノームをカチカチで大丈夫ですが、他のジャンルで勉強した人は、そのカラーを出すことが出来ますね。「千本桜」などはそう。いろんな方が歌っていますが、カラーが違います。重みを置いている音が違ったりします。
果たして、楽器を演奏する人は、そこまで考えて歌謡曲を演奏しているか?

残念ながら、歌詞が無い分、表現としてはマイナスになってしまっている人が多いですよね。
知っている曲を聴くときは、聴く人が頭の中で原曲を補うから、そこそこ演奏できればウケるんです。悪い言い方をすれば。
コンサート後のお客様アンケートで、「知っている曲だから良かった」「好きな曲だから良かった」「リズムが良くて楽しかった」と書かれることは、演奏家としてはどうなんだろう?
そう気付いてから、子ども向けのコンサートでも皆が知らないであろう曲を演奏するし、篠笛に至っては、会場のほとんどの人が知らないであろう曲しか演奏しません! でも、そのほうが終了後に喜んで頂ける。



音楽なんて、楽しければいいと思うんです。基本的に。
楽器が吹けると、さらに楽しい。

だったら、楽器を吹ける人の中から、もう一歩進んでくれる人が、もっとたくさん現れたらいいなと思います。
「楽譜を読む」に関しても、「そういうことなのか」と知っているのと知らないのとでは、心構えが全然違いますよね。これが「勉強する」ということです。
「何を知らないのかが、分からない」時は、プロに習ってみてください。
知らないことを知ること、これが本来の「学び」であり、人間らしい喜びであると思います。

| ♯レッスンのつぼ | 13:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「習う」考

そもそもの話、「習う」という言葉の意味自体を考えることは、あまりないのではないかと思います。
講師は「教える」ことにフォーカスしてしまいがち。
私の場合はまだ「習いに行っている」立場でもあるので、「習う」気持ちは失っていないつもり……技術を教わるというより、練習して行って確認みたいな感じだけど……これもあとで分類しよう。

さて、「習う」とは。

なら・う〔ならふ〕【習う/▽慣らう/×馴らう】 の解説

[動ワ五(ハ四)]

1 教わったことを繰り返し練習して身につける。けいこする。「夜ふけに一人でダンスのステップを―・う」
2 知識や技術などの教えを受ける。教わる。学ぶ。「父から将棋を―・う」「中学で―・った先生」
3 経験を積んで、なれる。習慣となる。
「心ざしはいたしけれど、さるいやしきわざも―・はざりければ」〈伊勢・四一〉
4 慣れ親しむ。
「かく久しく遊び聞こえて―・ひ奉れり」〈竹取〉


「倣う」という漢字もありますが、これはどうでしょうか。

なら・う〔ならふ〕【倣う/×傚う】 の解説

[動ワ五(ハ四)]《「習う」と同語源》

すでにあるやり方、例をまねて、そのとおりにする。手本としてまねをする。「前例に―・う」

以上、goo辞書より。

ほとんどの方がイメージし、実行している「習う」は、上の「習う」の1・2だと思います。教わって、練習する。

このコロナ禍でオンラインレッスンも盛んになり、私も開催しています。
主婦だったり、お仕事が多忙だったり、体調が不安だったり。皆さんそれぞれにご事情ある世の中ですから、「通う時間が要らない」「天候に左右されない」ことは大きなメリットです。コロナ終息後もオンラインレッスンは残るでしょう。

一方で、オンラインレッスンはしないという先生もおられます。
こういった先生が教えられているメインの生徒というのは、「教わって練習する」段階に無い人。
冒頭で私も習っている立場だと書きましたが、私はこちらのパターンの生徒に入ります。
もちろん、教わってはいるのですよ。ちょっとした指の使い方、考え方、知識、響かせ方など。
「それ、オンラインでも出来るでしょ?」
と、思いますよね。
でも、そうじゃないのです。

例えばフルートの場合は、とにかく技術が多く細かいため、マイクでなく生の響きを聴いてもらわないとどうにもなりません。
高性能マイクなら? と思うかもしれませんが。ところがそもそもの話、目の前で聴く音とホールで聴く音は全く違います。
目の前でAさんとBさんが音を出していて、この場ではAさんの音が大きいなと思っても、ホールでは圧倒的にBさんの音のほうが大きいということがあります。この響きの部分をレッスンしないといけないとなると、オンラインでは難しくなります。

篠笛の場合は、フルートほど技術がシビアでは無いのですが、圧倒的に対面レッスンが良い理由は、「空気はマイクに乗らない」一点のみ。
相手を含めた部屋の空気を作る、読んで間を計って次の音を出す。
ああ、武術で言うところの、「間合い」ですね。二重奏などもそう。
これはオンラインではできない。

このように、上級者に近付けば近付くほど、対面レッスンが有効になっていきます。さきほど辞書で引いた、「習う」の3に相当します。
不思議なことに中級くらいの方でも、オンラインと対面では、上達スピードが違います。結局のところ、楽器練習は「技術だけではない」ということでしょうか。凄いのは「プロ野球」だけど、心を打つのは「本気の高校野球」、みたいな感じ?



私の教室に来られている生徒さんとも、たまにこういう話になります。
カルチャー教室で習っていた時よりも、私の自宅教室に来ている今のほうが、「いろんな楽譜や楽器を見せていただけるから知識が増える」と言ってくださいます。
もちろんカルチャー教室でも教える内容の幅は広げたいから、可能な限り持参できるものは用意しますが、話が脱線した時に「あ、そういえば」と言って実物を取り出すことはできません。
また別の生徒さんは、「いろんなお話を聴かせていただいて、それがトータルで上達に結びついてる気がする」と言ってくださいました。

日本には、付き人、という古い制度があります。外野から見れば「雑用係」のようでかわいそうに見えるのですが、学ぶ人は学ぶのだと、今は大物になっている某落語家さんが仰っていました。お稽古の時とは別に、家の外を歩くとき、食事のときなど、場面場面で師の考えと出会います。そういえば、という話もあります。これが全部自分の芸になるのだと。

一般人の私達が師匠のお世話をすることはさすがに無いけれど(笑)、場面が変わると、普通の人は聴いていないであろう話も聴けます。これが上達に関わるのだから面白いなと思います。
古い生徒さんが、「せっせとレッスン室のドアを開けに来ます」と仰っていました。お茶の先生からの教えだそうです。お茶室の扉を開けることで、その日のレッスンの7割8割は終わっているのだと。だから、進歩が遅いのに練習をあまりしない私は、そこで欠席するのでなく、ドアを開けにきます、と。目からウロコでしたね。
問題は、こういったことに気付いたり、凄いなと感じるのが、大人になってから、ってことですよね。学生のうちにこれが実感として分かっていれば、学校の勉強でも何でも、もっと身についていたなと思うのです。ま、ま、大人の楽しみってことにしときましょうか(笑)。
となると、このコロナ禍下であれば、師匠と全く会えない間は、電話なりオンラインレッスンなりで繋がっておくことも、上達のカンフル剤になるかもしれませんね。辞書の引用で言えば4の「慣れ親しむ」がこれに当たるのでしょうか。

一応繰り返して書いておきますが、この記事は、オンラインレッスンがダメという話ではありませんよ。かなり上級になると効果が疑問符であるというだけで、それまでは、何かしら学べるところはあります。
むしろ、レッスン中に、「演奏しているときだけ気合いを入れて、皆で話しているときは聞いていない」というのは勿体ないかもしれませんよ、というお話です(そうだっけ?)。

| 徒然 | 08:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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年度末

筝(日本のこと)と洋琴(西洋のこと)のコラボレーション!
怪しいですね~~。



編曲をしていました。右手で箏、左でピアノを弾きながら。
箏の調弦もいろいろ試しました。最後はイラっとして、平均律にしてやりました!
和音がどうしても溶け合わない·····次はチェンバロの調律を参考にいろいろ試してみようと思います。

煮詰まるとフルートにチェンジ。




時間になったので、某所で送別会に参加。豪華お弁当♪



写真はクリックで大きくなります。海苔巻きが、見た目すごくミチミチで、違和感ありませんか? 
食べてみたら、酢飯が餅米?!新潟に、こういう文化があるのでしょうか?💦 知らなかったなぁ·····
食べてると、はまってきました。

こちらはお魚も入った立派なお吸い物。

 


送別会が少し延びたので、終了後に慌ただしく小学校へ。
捺印大会でした。来年度もお世話になります。

今年度受け持った3校、そのまま継続で勤務することとなりました。
これまで、メインの中学校にプラスして別の中学校へ行くことはあっても、閉校やクラス増設で非常勤が必要なくなったりなど、3年間も複数の勤務校が固定されることはありませんでした。
一昨年から、メインの中学校にプラスされるのが小学校2校に化けまして(!)。小学校は閉校にならないし、私がお役御免になるとすれば、高学年に音楽の得意な先生ばかり集まった場合くらいだし、、、多分このまま、小学校にずっと片足突っ込んだ感じで行くんだろうなぁ、と漠然と予想しています。

中学校勤務は片道1時間の市外に赴くこともザラにありますが、小学校は市内だから、その点はありがたいのですよ! 小学生さんかわいいし。

年度末、周りが異動であわただしいので、なんとなく自分も、今後のことなど考えてしまいますね。
コロナのこともあって、学校再開からこっち、心身ともに非常に忙しくて。
とりあえず、学校関係の用事が全て終わったから、今日からは音楽家マインドを取り戻す生活です。

| 徒然 | 18:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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